ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

アニメ「バビロン」

もうアマゾンプライムで見るアニメもなくなったなあと思い、古代バビロニアなども研究している私として気になったアニメのタイトル「バビロン」。見てみました。


お堅い話かなと、最初は思いました。主人公は検事。そして、東京の近郊に新域という自由な新しい町ができます。その域長選挙が出てきます。並行して、あいつぐ謎の自殺事件。主人公の部下も、さしたる理由もないのに自殺してしまいます。


どんどん死んでいきます。集団自殺もあります。
一人の女性が、「悪」を実行するため、人々にささやくのだそうです。そうすると死にたくなってしまうそうなのです。その女性に一瞬でも接触した人間が皆自殺するのだそうです。


一方、新域の域長は「自殺法」を制定し、自殺を合法的なものとすると表明し、それは世界各地に広まっていきます。この域長と、一人の女性の関係がいまいちはっきりしないまま、つまりつながりを示唆させながらも明示しないまま、物語は終わってしまいます。


風呂敷を、広げっぱなしで、サスペンス仕立てのファンタジーにもなれなかった、物語として欠点の多い作品です。


3話くらい見て、吐き気がして、メンタルの弱い私はあきらめようと思いましたが、きっと救いがあるんだろうという私の「良心」に基づいて視聴を続けました。最初から最後まで胸糞悪かったです。集団自殺、次々殺されていく部下たち、主人公を悪に向かわせようとする謎の女。


その謎の女がどんな方法で人々を一瞬で自殺させるのか、その真実は語られていません。だからここはファンタジーです。作者は、暗示や催眠術を想定しているのかもしれませんが、そういう証拠や、具体性が見えてこなくて、魔法でも使わないとできないことだろうと思うので、ファンタジーだと言いたいです。


途中で話は大きくなり、世界の各自治体で「自殺法」が制定されていきます。最終的にはアメリカ大統領まで謎の女の餌食になってしまうわけですが(殺したのは主人公ですが)、最後まで問われ続けたのは、「善と悪」でした。
G7で自殺法の是非について議論されていたのに、アメリカ大統領が「善と悪」について話すべきだと、話を変えたのです。


で。この物語で出てきたことは以下の通り。
善とは、続くこと。悪とは、終わること。


はあ。
それから、自殺の是非についても、聖書には自殺をしてはいけないとは書かれていませんが、西洋人の精神の中には、自殺は神様の意思を裏切る最悪なことだというのは植え付けられているので、こんなに簡単に議論されることはありません。日本人が天皇家の今までの継続を、是非は問わず確認しているのと同じくらい、西洋においては自殺はアウトです。根深いのです。


安楽死についてはまた別の問題なのです。安楽死は自殺ではありません。その点についても議論はされていません。


話題は飛びますが、善悪の2つについて考えられ始めたのは紀元前20世紀くらいじゃないでしょうかね。相対する概念なので善があればそれだけ悪があります。その辺をうまいことまとめて二元論的にして宗教世界を作ったのはゾロアスターであって、キリスト教も善悪二元論の影響を受けています。善と悪は、最初から存在する「何か」なのです。善とは何か、悪とは何か、それはまだこたえられるようなものではありません。法的に、道徳的に、経済的に、断じることはできますが、そんな生易しいものではない、神様を認めている世界において善とは神の命じるままに生きることであり、悪とはその逆でしかないからです。日本人にとっては、また違う答えになるだろうと思います。それはその国や地域の道徳的規範や宗教に依存することだからです。相対的で、捉えがたい概念で、多分普遍的な「善と悪」というのは語れないと思うのです。


最初から最後まで笑いも癒しもまったく一瞬もない緊張感たっぷりのアニメでした。どんどん人が死に、生きながら四肢を切断されるグロいシーンもありました。怖かったです。
大声で言いましょう。


胸糞悪い!


最後がどうなったか?謎の女の秘密が暴けたのか?自殺ほう助罪で逮捕されたのか?
簡単な終わり方はしていません。というか終わっていません。
謎の女は、ずっと、人を死に追いやり続け、主人公の息子にまで手を伸ばそうとしている、というところで終わります。主人公は負けたんだと思います。


何が言いたかったの?何を伝えたかったの?
サスペンスの面白さ?そんなに簡単に視聴者をだませると思うなよ?


以上
これからもっと明るいアニメ見て心を落ち着けます。

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