ひまわり畑を夢見るブログ

40歳以上独身女性です。2016年1月、乳がんとの診断。でも仕事を辞められない、いったんやめたらもう戻れない研究職です。仕事と病気と第2の職である音楽とうまく付き合って必死で生きていく生活記録です。

鬱とがんの関係

癌と診断されてから、まったく仕事が出来なくなってしまいました。面白いほどに、一枚の書類を読むのに一日がかり、たった17ページの論文の訂正に2週間たってもまだ半分も終わっていない状況です。やる気がおきません。もうエネルギーがどこにも残っていなくて、指も頭も動かないのです。


先日抗不安薬をもらってきました。癌に対する不安があるから仕事にならないんだ、と思って指示された量を服用しても、普段と変わらず何も出来ず。仕事に来ることすら億劫になりとうとう今日は遅刻してしまいました。

いかんとおもい、今日は抗不安薬を倍飲んでみました。そうしたら、だるすぎて眠すぎてなんというか背骨に力が入らなくて、おまけに寒すぎて死ぬかと思いました。結局一ミリも仕事が出来ていません。


癌で鬱になることなんてあるんだろうか、とネットで調べたら、ごろごろでてきましたわ。告知からいったん落ち込んで、鬱になる人、ちょっと持ち直して適応障害になる人、ちゃんと持ち直して普通になる人、とあるらしいです。3ヶ月も何も出来ない状態の私はきっと鬱なんだろうと思います。


というか、先日精神科にいったときにちゃんと何も出来ない状態と伝えたのですが、もう今まである程度鬱に関する薬をもらっていて(一定量の抗鬱剤を処方してもらっていました)、睡眠の調子がおかしいことも伝えて(ちゃんと眠れていない)、これ以上薬で何か出来ることはほとんどないということで、抗不安薬の処方になったのですが、この苦痛はもう取れないんですかね。いつまでも仕事できないままなんでしょうかね。論文出せないと4月から仕事ないんですけどそんな切羽詰った場面でも一向に仕事できません。


転移がないとわかってほっとしてからのほうがひどくなっています。


仕事できないんです。

やろうと思ってもまったくだめなんです。

元気でないんです。

集中力ないんです。

ふと気が付くと転移や再発のことを考えているんです。

ふと気が付くと腫瘍が大きくなってることを気にしているんです。

ふと気が付くと手術までの間に転移してるんじゃないかと気にしてるんです。


手術まであと1ヶ月くらいだと思いますが、その後病理検査結果が出て、治療方法が定まれば落ち着くと思うんですが、それまでこんな辛いのはいやなんです。


皆さんどうやって乗り越えてるんでしょう・・・。

極寒ブラームス

いつか、「最後の演奏」がやってくるんだろうなと思うと、ひょっとしたらこれが最後の演奏会なのかという錯覚に陥って、皆様に拍手をいただいている間に急に寂しくなってしまった。

いやいやまだ乳がんになって久しい、まだまだ生きられる。だから、これで終わりとかそんなことは決してない。けれど、抗がん剤をやりながら演奏活動は出来ないと思う。そうすると、ひょっとしたら今回が最後と言うのもありうる…。今回の演奏会をもって一切の演奏会の予定をお断りしたので、可能性はある。


だとしたら。

なんというていたらく。

練習1回のみ、自宅で練習は一切せず、ブラームスの1番なんてもう目をつぶってもひけるわいと堂々として出て行ったけれど、結構抜けてしまった…。いやたしかにかなりがんばって弾いたけれど、もっともっと、練習していけば楽しめたはずだ。


これが最後とはいかがなものかと思う。私はもっとうまく弾ける。


でもねー。日々、不安は募るばかりなのですよ。手術までまだ1月もある。その間に癌が広がってしまうんじゃないか、転移してしまうんじゃないか、骨転移したら間違いなく楽器は弾けなくなる。楽器は骨で弾くものだから。そんな日が、突然やってくるんじゃないか。まだソロもやりたいし室内楽もやりたい。やれなくて終っていく日が来ても、結局受け入れざるを得ないんだろうと思うけれど、やりきったと思えるまで、やってみたい。



そういう考えはよくないね、きっと復活して、完治して、ばりばり弾けばいいじゃない。自分どうかしてるぞ。

はやく手術で日々大きくなる腫瘍をとってしまいたいです。気のせいかとも思ったけど最近はちょっと触れただけでもおおきい塊がわかるように育っています。



パリの私の311

テレビで東日本大震災のことを放送しているのを見ると涙と鼻水が止まらない今日この頃です。どんな小さなことでもうるっときてしまう。この災害がどれほど大きかったのか、理解したのは、相当あとになってからでした。災害の多い日本のために、私は何かをしたいと思い、せめて日本に税金を納めて、災害のときに他人事の顔をしないでいられるように、帰国を決意しました。


2011年、私はフランスはパリで教師をしていました。仲間の先生から、日本で大地震が起きたらしい、と言うことをきいてびっくりし、ネットで情報をあつめて、それほどなくなった方がおられないことに安心していました(初期の報道では死者数十人だったんです)。翌日のフィガロの一面トップは津波の写真で、道行く人から「あなた日本人?これは映画?」と聞かれるくらいインパクトがありました。これで、亡くなった人が数十人はありえない。ひょっとしたら正確な情報がつかめていないだけで、とんでもないことになっているんじゃないだろうか、と思い始めました。


しかし、3日目の現地のほぼすべての新聞の第一面は、放射能。大変なことになった。物理を教えていたのでチェルノブイリのことはよく知っている。あれは稼働中の原発の事故ではなかったからより悲惨になったけれど、稼働中の原発の事故となると、世界はそちらに当然目を向ける。


U-Streamというサイトがあって、違法で、どなたかがNHKの放送をリアルタイムで配信してくれていたのを震災数日後に発見した。そこで、津波のものすごい威力を目の当たりにした。ええ?これほんと?日に日に死者行方不明者が増す。地震の規模も最初の情報から訂正され、今までにない規模のものだったことが判明した。


その違法U-streamには本当に感謝しています。違法だったけれど、海外に住む多くの人が、日本のことが心配になり仕事どころではなくなっていたんです。私もそうです。一種病気みたいになってしまい、「なぜ自分は日本人なのにこんなところにいるんだろう」という気持ちでいっぱいになりました。何もしてないのに勝手に涙が出てくる、多くの方がそうだったと思います。空を見上げても、この空は日本とはつながっていない。地平線を探しても、その向こうに日本はない。インターネットの向こうにしか日本がなかった。日本人としてこんな辛いことがあるだろうか。


フランス人は優しいから、みんなお悔やみの言葉を伝えてくれたり、家族は大丈夫か、友達は大丈夫かと心配してくれました。すぐに原子力の専門家を日本に派遣したけれど、発電炉のタイプの違いから役に立てないとのことで4日で戻ってきたそうです。フランスは日本大好きだから、何か役に立てないかと思っての行動は早かったですが…。


停電したり、家に帰れなくなった人が、関東でもたくさんいたようですね。この寒いときに、本当に皆さん大変だったと思います。そう、こうやって「皆さん大変でしたね」なんて他人事みたいにいえてしまう自分が一番嫌で、私は帰ってきました。

震災がなければ、私はいまだにパリで、音楽家をやりながら、教師をやっていたと思います。まあ、フランスは、抗がん剤治療が無料なので、乳がんになるならフランスにいるときになってほしかったかもしれないですが・・・。

 

帰国して、311から3年目くらいになって、やっとその地震の被害の甚大さが、分かった気がします。いまだに本当には分かっていないかもしれませんが、毎年3月11日になるたびに、身にしみていきます。風化どころか、より詳しくわかってきて、想像するだけで涙と鼻水です。


遠くない日に、日本にはもっと大きな地震が来ます。もっと大きな災害がやってきます。これは確実で、誰も止められない。そのとき私はちゃんと日本に所属して、日本人として一緒に苦労して、助け合って、役に立ちたい、と思っています。


今も苦労して生活されている方たちが一日も早く普通の生活を取り戻すことが出来ますよう、そして、亡くなられた多くの方の魂の平安を心から願っております。