ひまわり畑を夢見るブログ

40歳以上独身女性です。2016年1月、乳がんとの診断。でも仕事を辞められない、いったんやめたらもう戻れない研究職です。仕事と病気と第2の職である音楽とうまく付き合って必死で生きていく生活記録です。

おとうさん

父は心臓弓部動脈瘤をかかえていました。なんとその大きさは直径9センチ。私はCT画像を見たとき、それが心臓かと思ってしまったくらいです。私のこぶしくらいはあった。


動脈瘤の中に人工血管を通し、ステントを入れて拡張する大手術をすることになった。


あれは2008年の話。

いつ何時、思い出しても、泣いてしまう。

同時に、いつでも私もおとうさんのほうに行きたいと思ってしまう。


だからここに書いたのは戒め。

私は当時フランスで仕事をしていたため、手術のときに戻ってきて、

そして、その後、なくなるときも、たまたま今後のことを相談するつもりでフランスから帰ってきた、その3日後だった。

「あなたが帰ってくるの、待ってたんだよ」

それを言われると、号泣です。

とうに父には意識も精神も、父と言う人間性も魂さえもなくなってしまい、体を動かすことも出来なかった。ただの入れ物、植物人間になってしまっていたのに。わたしが帰ってくることなんかわかるか!でもそうだったら、それはもう父の意思とかではなく、感覚というかもっと低レベルの本能でわかっていたのかもしれないです。


私はひそかに父は幸せな死を迎えたと思っている。この世の最後に聞いた声は、たぶん麻酔のときの「はい、麻酔しますからね」というやさしい看護師の声だったと思う。この世で最後に思ったことは、もちろん手術の恐怖もあっただろうけれど「畑、何植えようか」だったと思う。そして、手術中に多発性脳梗塞になり、以後父と言う脳内構造は消えてしまい一度も動かなかった。


父は、出来の悪い私のことを褒めたことなんか一度もなかった。

いつも怒られてばかりの出来の悪いがきだった。

手術室に向かうときに、海外の学校で教えられるようになった私に向かって

「おまえはかしこいなー」

といっていた。これも号泣。



はー。ストレス解消した。父のことは涙無しに思い出せないんですが、研究に行き詰ったりしてストレス解消したくて泣きたいときはいつでも思い出します。

癌が怖くて自分が死ぬんじゃないかと思うこともあるけれど、そういう時も父のことを思い出します。そうするとぜんぜん怖くなくなるのね。現世では個人個人があってそれぞれ悩みや考えを持っているけれど、死んだら、魂になって、空に流れてる川みたいなところにみんな吸い込まれていって、ひとつの宇宙みたいになるんじゃないか、おとうさんはそこに混ざっちゃって消えてしまったけど、私もそこに行くだけじゃないか、なんて考えてしまう。

無、なんだよね。自然に還って無になって、またそこからなにかが生まれるんだろうね。


あ、これでも私はクリスチャンです。


生き方を変える必要がある

乳がんとわかって、いろいろ調べた。先輩患者さんのブログをみたり、ガイドラインを読んだり、病気のこと、病気をしても生活している人たちのことを知ることが出来た。

わかったのは、今度手術して取ってしまっても、抗がん剤をやろうがホルモン剤をやろうが、常に再発の恐怖を持って生活していかなければいけないということ。


一回乳がんにかかって、「治りました」というのはないんだ。

症状がおさまって普通の人と同じになりました、とはいえるけれど、がん細胞はどこかにいて、いつまた活性化しようかと準備を始めている。もともと持っている免疫ががん細胞を押さえにかかってくれているけれど、免疫が弱くなったら、がんが勝つ。


私は免疫が弱くなるような仕事の仕方をしている。

研究職だもの、これだ!と思ったときには、昼も夜もなく研究する。ご飯を食べることも忘れる。トイレに行くことも忘れる。何か探している段階ではだらだらしながら図を出して眺めて一日二日がすぎていく。そういうときはお菓子食べながら、のろのろと仕事をしている。こんな生活、健全じゃないに決まっています。


いやいやまっとうな研究者はちゃんと一日三食食べて、おやつも控えて、きちんと朝は定時に来て、きちんと夜は定時に帰る方がいらっしゃいます。

私もそうなって、ちゃんと毎日免疫力が上がる食事を自分で作らないといけないな、と思い始めているのです。


自炊なんてしてないです。うちには炊飯器がないですし。

これを改善していく。免疫力が付くような、がん細胞が減るような料理をちゃんと自分で作って、もちろんインスタントとか無しですよ、野菜から買ってきて、魚も肉も自分で料理。そういう生活スタイルに変えていかないといけない。


仕事がねー。ルーチンワークで定時で上がれる仕事だったら出来ると思うんだけど、そういう仕事じゃないんですよね。ましてや、パーマネントじゃなくて有期研究員だから、出来るだけ結果をださないと、次の年はやとってもらえない。私なんかはとろいからひとの倍働いても足りないんだから、人の3倍くらいは働かないといけない。そんな私が家に帰るのだって12時近いし・・・。


こういう時思う。奥さんが欲しい・・・。

大体ですね、研究の世界にいて思う。女性研究者もすごい人はいるんだけど、ほとんど、一流の舞台に立てないんですよ。女性は研究以外にも家事があるじゃないですか。それでも一流の舞台に立ってる人がいるけど、ほとんどそれ以外見渡してみると、そもそも女性研究者の数が少ない。家事と研究の両立なんてやっていけないもの。なのに、学会では研究者の女性比をあげようとかなんとかいって、男の人はいいですよね、奥さんがご飯作ってくれて家庭のことは奥さんがやってくれて子供も育ててくれて。それをやりながら研究する女性もいることはいるけれど、本当に優秀な人だけなんですよ。それで残っていけるのは。

なんか愚痴になってしまった。


まあともかく、これからは、癌と共生していくんだと思わないと、そのためにまっとうな生活を送ろうとしないと、長生きは出来ない、ということですね。研究の世界で出世を見込むより収入はなくても安定した平らな仕事をしなきゃいけないかなと思っています。



大病院は複雑だ

紹介状を持って、大きな病院にいってきました。家に近い駅(徒歩3分)からバスに乗って10分くらいで、その巨大病院に到着しました。朝一だったのでまだ人がばらばらしていた感じですが、初診受付へ。なんだかよく美術館である貸し出しオーディオガイドみたいなものとファイルを持たされて、指定された窓口に行く。窓口に行くとオーディオガイドで呼ばれるから、といわれたので、その窓口で待っていたら、呼ばれることはなく45分くらいぼーっと座っていた。


窓口には、ファイルを提出しなきゃいけないんだった!!!


みんなそうしてるじゃないか!!!


無駄な時間を過ごしてしまった。そう思って窓口に前の病院からもらってきた医療情報を提出しました。そこは放射線科。そうだよね私が放射線科で待ついみがないものね。


提出してから40分で名前を呼ばれて、乳腺外科へ。先ほどの間違いはすまい。ちゃんとファイルを提出して、待っていると、オーディオガイドのようなもののディスプレイに、どの部屋に入ってください、と出てきた。おおっ。すごい!


入っていくと、若い先生がCT画像などを見て解説してくれました。っていうかもうその説明すでに前の病院でしてもらったけどね。


前の病院では、抗がん剤で小さくしてから温存手術がいいということでしたが、今回の先生は、抗がん剤で小さくしないで即(といっても病院の手術待ち状況で4月か5月になるそうですが)で、後は放射線とホルモン剤で行きましょうという。


私としては、ついさっきまで、抗がん剤の苦しさに自分が耐えられるかと暗くなってたのですが、今の先生は、無理して抗がん剤をやることはないという。最近はそういう方針になってきてるんですよ・・・だそうです・・・。


でも、再発や転移は??再発転移したらもうおしまいじゃないですか。なのにその予防をしないんでしょうか。確かに私はホルモンレセプターの癌ですけども・・・。


この先生だけの意見を聞いていいのだろうか。


とりあえず、全身の詳しいデータを得るために、2週間ほどかけて、肺の検査やCTやリンパ節に転移がないかを調べたり骨シンチグラムをやります。結構仕事休みになっちゃったな、ついでだけど母が肺がんで入院治療するのでその手術日もやすまなあかんから、2月の全日出勤日は10日しかない。


とりあえずでも、前進。仕事先でも一応一番偉い人には癌であることを話してしまいました。健康保険のこととか、事務的な作業がいろいろあるそうなので、知っておいてもらったほうがいいかなと。直接の上司やグループリーダーには、治療方針が決定してからお話しする予定です。


てな感じで大病院、結構時間かかりましたね、8時半について11時までかかりました。会計もオーディオガイドみたいなものを機械に差し込んでお金を入れて自動でおしまいでした。全自動、さすが大病院。私の通っている田舎の日赤とは大違いだわ。


でも田舎の日赤も好きです。トイレは冷たくて暗いけどね。