ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

乳がん手術のための入院2

入院2日目。ほとんど寝ておらず、なんとなく起こされて検温と血圧計測。朝ごはんはなし。昨日の夜が最後だったのでしっかり食べておくべきだったと少し後悔。
母親も到着していよいよ手術です。新しい下着に着替えて、前開きのパジャマで、何ももたずに歩いて手術室へ。途中で母は待合室へ。
待合室では、テレビ画面で、何歳の性別が何の人の手術の状況というのがリストで流れていたらしいです。例えば、「外科44歳女性、術後処理中」みたいなふうに。いくつかの家族がそこで待っているらしく、年齢と何科かで自分の親族の手術状況を見ることが出来るらしい。待っている間にと私は母に乳がんの本を渡して、ちょっと勉強してくれといっていたのですが、手術は1時間半で終ってしまったので、あまり勉強できなかったらしいです。


さて私のほうは。超巨大な手術室エリアがあるのですが、そこにいくつもの個室があって、その中のひとつの、それほど広くない個室での手術でした。到着するとすぐに手術台に乗ってくださいといわれ、もうさっさと、上着を脱がされ、いろいろくっつけられ、右手から点滴する場所を一所懸命探され(普通右腕から点滴するのですが、血管が細かったので右手甲からの点滴になりました)、はじめますよもますいしますよもなしで、いきなり何か痛い液体が血管を流れてきて、それからガスマスクみたいなのを顔の前に持ってこられて、それから意識がぷっつり。
意識がなくなってから、超音波をしたりして、どうやって切り取るかとかを決めたらしいのですが、私はそこでどうやって切って欲しいと本当はいいたかったんですがそんなことも言うことはできず、ただ手術前に「絶対に全摘出はいやなので」とだけいってあって、あとは無抵抗でまるでもののように扱われて手術が終ったらしい。
目が覚めたときは何人もの人が私の顔を覗き込んでいるようだったけれど、私は丁度いい感じの夢を見ていて、それを乱された怒りで、大声で「すいません、私寝不足なので寝かせてください」って大声で言いました。まだ麻酔から半分さめてないときだったのでしょうね、普通の睡眠からの目覚めだと体も意識も睡眠しているけれど、麻酔の場合は体は起きてるので、結構大きな声で言えるものなのですね。
そこから別室に運ばれ。ICUじゃなくて、ナースセンターの横の部屋。その頃意識がだんだんはっきりしてきて、母親が呼ばれた。
最初は寝ている状態で母親と話をしたけれど…。執刀医からどんな話があったとか話したと思うんだけど、執刀医はうまく行きましたくらいしか言ってくれなかったらしい。リンパ節への転移がなかったので、リンパ節郭清はなかったそうです。私は30分くらいでもうげんきになり、ベッドの背もたれをあげてもらってしばらく母と話をしていたら、なんかもうこれ、動けるんじゃない?っていうくらい元気になり、尿の管を抜いてもらって自分で歩いてもともとの病室に歩いて戻りました。
手術の日は一日安静のはずなんですが、痛みもふらつきもなく結構普通に歩けたので、しばらく病室で母親と話をして、母は4時半ごろ帰宅。私は冷たいものが飲みたいと思い一人で歩いて水を汲みに行って(お茶やスポーツドリンクはあかんていわれた)、何度も給水所とベッドを往復し、退屈なのでテレビを見たりしておりました。
トイレに行くと、尿が青かった…。これはセンチネルリンパ生検のときに注射した液体の影響なんだろうと思います。
夜、「何でも鑑定団」を楽しく見ていたら、だんだん熱が出てきて、頭痛がひどくなってきて、手術の痛みよりも頭痛と熱のほうがひどくてへとへとになってしまいました。そりゃそうですよね、体のどこかを切ったってことは、防御反応として熱が出るのは当然かもしれませんよね。
そんな感じで手術は終わり、頭痛のひどいまま翌日をむかえます。

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