ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

ベートーヴェンは中期が一番好きです

表題の通りのことを書こうと思っていたのですが、現在ちょっとオケでトップをやらないといけないことになり第九の勉強をしているついでに、後期作品を振り返っています。


最初に第九を弾いたのはM1のときでしょうか。そのころ、初めてヴィオラを手にした私は、まだハ音記号が読めないにも関わらず、知人に引っ張られてとあるオーケストラのエキストラに行きました。ええええ譜面読めないよ!でも1万円もらえるから行くか。


練習1回で本番でした。なので、必死についていくことしかできませんでしたが、ひしひしと感じたのは、狂気…。なんというか、こだわりです。特に中声部に対する要求が多くて、ヴィオラやファゴットに結構な仕事をさせるんです。当時の音楽の作風としては、メロディーをやるヴァイオリンやフルート、オーボエが目立って、ヴィオラやチェロは、ほとんど音符のない楽譜ばかりなのですが(モーツアルトはヴィオラにたくさん仕事をさせたので有名ですが、ハイドンなどは、ヴィオラなんていらないんじゃないかと思うくらい、音符をくれません)、肉厚と言いますか、音の重なりが厚くて、ちっとも手を抜けませんでした。その正体がポリフォニーだとわかったのは、ちゃんとほかのパートが聴けるようになってからでした。


ベートーヴェンの後期作品にとって重要な影響を及ぼしているのはバッハです。バッハといえば今でこそ音楽の父ですが、メンデルスゾーンが発見するまで、埋もれていました。ベートーヴェンが若いころはバッハの楽譜は確か印刷されたものは本当に少なく、手で書き写していたんだと思います。今でこそバッハの奏法について研究されていますが、複雑すぎた上に、バッハは「大量生産、大量消費」の作曲家であったため、それほど振り返られていなかったようなのです。宗教的な理由も絡んで、バッハが大々的に取り上げられる機会は少なかったようです。
そのバッハに、死ぬ前15年間くらいのベートーヴェンはのめりこんでしまいます。もともと執着心の強い、こだわりの強い、なんと言いますかねちっこいベートーヴェンですから、それこそバッハの平均律は上下巻とも制覇していたはずです。耳が聞こえなくとも、頭が音にある限り、その響きを想像するのは容易です。


もう一つ、大事なのはピアノの発達です。ベートーヴェンは前にも書きましたがフランスのエラールのピアノを使っていましたが(フランスのピアノは室内向けなのです)、後期にはイギリスのブロードウッド製のピアノを使っています(ピアノ送ってやるからロンドンで演奏できる交響曲作って頂戴と言われていたんです)。鍵盤数が増え、弦の本数も増え、表現の幅が大きくなり、そして、エラールのピアノではイメージできていた音が、新しい時代のピアノでイメージできていなかったんだと思います。


ということで、後期のピアノソナタ(だけではないんですが)には、フーガの複雑さと、音域の広がりによる無理な響きという特徴があります。頑固なまでのポリフォニー表現と、鍵盤の端から端(当時の、ですが)まで使う表現。これが、演奏の難しさにつながっていると思っています。ピアノソナタがそれだけ入り組めば、自然、管弦楽曲もそれなりに実験的に「ちょっとこんなこと入れてみようかな」という感じで複雑な要素が入ってきてしまうのです。


私は後期作品はほとんど手がけたことがありません。ハンマークラヴィーアは頭痛がするくらいの曲なので練習できませんでしたし、弦楽四重奏もフーガの難しさで敬遠され、挑戦するメンツを揃えられませんでした。せいぜい12番くらいまでです。なんと言いますか、その辺のフーガの細かさの片鱗は、ラズモフスキー3番のあの超早い4楽章から見られますが、途中のDivertissementになると、ベートーヴェンらしいユーモアさが出てきて、皮肉がたっぷり含まれていて、これはきっと奏者に対する愛着があるんだなと思うのです。弦楽四重奏でのフーガは当然4声なんですが、なんででしょう、バッハの4声のフーガは全然耐えられるんですが、ベートーヴェンの4声のフーガは、耐えられない。聴いていて、その重さに辟易してしまう。名曲であるとは思うし、こだわりも、凝りも、よくわかるんですが、作曲者に「いっぺん自分で聴いてみろ!」と言いたい…まあ、難聴だったベートーヴェンは後期の弦楽四重奏を聞くことはできなかったんですけどね。


ベートーヴェンの思想的なこと、哲学的なことは、岩波文庫「ベートーヴェン音楽ノート」からうかがい知ることができます。ここで私が学んできたヨーロッパ中世のことが役に立ちます。ベートーヴェンの心の中には、当然キリスト教はあったのですが、カント、ゲーテなどに傾倒していた時期もあり、さらにインド哲学にも片足を突っ込んでいたんです。なので時々、エキゾチックなテーマが出てきたりします。当然、ギリシャ神話、ゲルマン神話にも根差しています。晩年の歌曲に、ウィーンの女神のための曲があります。ウィーンはもともとゲルマンの女神の名前だったらしく、その地にちなんで名前が付けられているそうなのです。それに、スコットランド、アイルランドに関連した歌曲も描いています。これはケルトの神話にちなんでいます。それ以外にも汎神論的な思想も持っていたらしく、一応キリスト教に根差しつつも、一方でそういった「神々の世界」へのあこがれも持っていました。


ベートーヴェンはミサ曲で有名な「ミサ・ソレムニス」を残しています。歌詞の内容は詳しくわかりませんが、まあ、キリストをたたえるようなミサ曲です。ほぼ同時並行で第九を作っていて、こちらは、シラーの詩による「歓喜の歌」です。人間の自由と喜びを歌い上げる曲は、同時期に作曲された「ミサ・ソレムニス」とは真逆の、何と言いますか、人間臭さを感じます。


ベートーヴェンはやればできる子だから、宗教曲もそれらしく作曲できました。カンタータが有名です。そう思ってみると本当に多産で、バラエティにあふれていて、ベートーヴェンを語ろうと思ったら、私の知っているピアノ曲と弦楽器曲では全然語れないということがわかってきます。人生長生きしているからベートーヴェンとは付き合いが長いけれど、残りの人生、どれだけあるかわからないけれど、ピアノソナタくらいは全曲制覇したいですね。あーでも後期作品は難しくて弾けない…。一応、初見では弾けますが、弾くので精いっぱいで、咀嚼して理解するには至らないかもですね。


私がベートーヴェンで一番好きな曲は、弦楽四重奏9番、通称「ラズモフスキーの3番」です。これは弾くのも聞くのも大好きで、ヴァイオリンの練習するときの指ならしになっています。ハ長調で単純明快、まさに私のためにあるような曲です(!)。今日はそのご紹介。中期の名作だと思います。ラズモフスキーに献呈された弦楽四重奏は3曲あります。どれも名作ですが、一番目の曲は冗長すぎるし、超繊細に音を合わせないと曲にならないので、面倒くさいし、聞いていてもその繊細さを聞こうとしてしまうので疲れます。2番目の曲はちょっと深刻なんですが、ベートーヴェンの作る短調の名作だと思います。3番が自由快活に一番自由に効いたり弾いたりできるんじゃないかなと。



Beethoven String Quartet No. 9 in C major, Op. 59, No. 3 - Jasper String Quartet (Live)
ちょっと前奏が長いのですが、途中から明朗快活な部分が出てきますので、ぜひ聴いてみてください。あと、26:16くらいから、私が最も好きなフーガ的な曲が始まります。フーガと呼ぶにはふさわしくないのかもしれませんが、楽しいです。でもたいていヴィオラ弾きが嫌がります。


まだまだベートーヴェンについて語りたいですが、語るには素材が足りなさすぎます。でも、私は奏者だから、奏者の視点でしかものを言えません。どうしてベートーヴェンはこんな音楽を作ったんだろうか、何を訴えたかったんだろうか、どんな演奏を目指そうとしていたのか、民衆に何を伝えたかったのか、そういうことを考えながら、解釈をしていくのが奏者の仕事だと思っています。それは、感動することの先にあります。共鳴というのがいいんでしょう。楽譜の奥から、ベートーヴェンの顔がのぞくのです(顔は良く知りませんが)。ベートーヴェンと出会えた時の喜びは、何とも言えません。中期くらいまでは出会えるんですが、後期は出会えない。第九はまだまだ出会えないなあと思います。


いろんな人の解釈がありますし、ベートーヴェンの解釈は、フランス国内でもパリ派とリヨン派では大違いでしたから、ベルリンとウィーンではまた大違いと思います。私はできれば当時の文化的中心地であったウィーンの奏法や解釈を知りたいと思っています。なのでドイツ語も勉強したいのです。ドイツ語の発音じゃないとああいう音楽は出てこない。言語と音楽の関係はものすごく深くて、例えば、日本語は4拍子ですが、韓国語は3拍子なんですよね。ロシア語は4拍子と5拍子がある。この5拍子の最後の拍はスラブ語系の語尾変化部分が加わってできている拍です。


まあ横にそれましたが、ちょっとここのところベートーヴェン勉強してました、そのまとめみたいな感じでこんな記事を書きました。3月に演奏会があるので、それまでは真剣に勉強しようと思います。後期のベートーヴェンに出会えるよう、音の隅から隅まで、サーベイしていこうと思います。


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