ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「7人の使者・神を見た犬、他13編」ブッツァーティ

イタリア文学です。


イタリアには近代文学が存在しない!なんて言っている人もいるようですが、この短編集を読んで、こんなに一つ一つの完成度が高く、分野もシュールレアリズムから不条理、キリスト教的物語、SF、形而上学などの様々な様相を見せてくれる様々な文学作品を読んで、イタリア文学すげーーーーーって思いました。


表題になっている「7人の使者」は、国境への旅に出た王子が連れた7人の使者が、報告と、国の情報を得るために定期的に順番に馬で王宮に帰り、さらに王子のところに返ってくるのですが、旅が長くなればなるほど、遠くなるのでなかなか帰ってこない。国境は見つからない。そのうち、一人が言って帰ってくるのに何年もかかるようになってしまい、それでも国境は見つからない。何年も経って、今度は使者を先に進ませて様子を見させてこようという考えに代わるのですが、その時点でこの主人公は「これまで誰にも打ち明けてはいないが—―その存在しそうにない目的地(国境)にむかって進むにつれて、日々に、空にはいまだかつて、夢の中でさえ、見たことのないような常ならぬ光が輝き、私たちが越えゆく山河や草木はこの世のものならぬ物質でできていて、そして吹く風には何か言い知れぬ予感がこもっているような気持を次第に覚えていくのである」と、この世ならぬ道に踏み込んでいるために国境が見えないことに漠然と気が付くのです。ちょっと幻想的な、超現実的な感じがします。


「神を見た犬」は、野良犬がパンをもらいに来るのですが、それが、神聖な人と一緒にいるところを見た人がいたことから、その犬は神を見た犬、神の犬、神のお使いとされるわけです。単に貧困者にパンをばらまくパン屋から1つのパンを毎日もらって行くだけの犬だったんですが、気が付くとその犬はどこにでもいる。神の犬だからその前で間違ったことはできない。盗みもできなければ嘘も付けない。どこにでも現れるその犬のおかげで人々の行いはよくなっていく。という話です。でも結局その犬というのは…。ちょっと面白い終わり方をしています。寓話的ですが、社会的存在である人間の本質をついているなと、思いました。


ほかにも、一編ずつあげて何が面白かったかを語りたいのですが、それをやっていたら一日かかってしまうので、どんな事柄が取り上げられているのかをざっと書きます。病人を病人にしてしまう不条理、ドラゴン退治、死ぬ前に母に会いに来る戦士の話、階段を上がってくる水滴、何かが起こってみんなそこから避難してくるのにその場所に向かおうとする列車、UFOの話、誰にも祈られない聖人の話など、多彩で顛末もハッピーだったり不思議だったり悲しかったりいろいろな話が詰まっています。


元はというとこのブッツァーティの書いた「六十物語」という短編集があり、そこから翻訳者が選んで訳したものが掲載されています。


ブッツァーティは1907年生まれ、1972年没のイタリアの作家です。新聞記者になり、特派員として砂漠の国に派遣されていたこともあるそうです(代表作に「タタール人の砂漠」などの中編があります)。新聞記者をやりながら創作活動も行い、寓意的、象徴的な作風の作品を残しています。戦後のイタリア文学が、アンガージュマン的であったのに対して、幻想的でミステリアスなブッツァーティの作品は、「現実不参加」的な文学として批判されたこともあるそうですが、やがて再評価されるようになり、世界中で翻訳されるようになったのだそうです。


あまり名前を聞かない作家かもしれませんが、私がこの作家を見つけたのは「タタールの砂漠」で、これを読んでみたいけれど長くて退屈らしい。だったら、短編はどうだろうかと思って買ってみたのです。


イタリア文学、あまり明るくありませんが、まだ読みたい本がたくさんあります。イタリアの古典を本当は読みたいんですが、まあ、長くて大変なので、最近の本でもまた機会があったら読んでみようと思います。


気軽に読めてちょっとした謎に納得できる、そんな本でした。

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