「細雪」谷崎潤一郎
上中下3巻の長編です。あまりに有名すぎて皆さま読んだことがおありでしょう。
2月の終わりの方に読み始めて案外早く読めたかな、というか、面白くて止まらなくて一気に読んでしまった感じです。最初のほうは退屈でした。なんだかなーこれ全部読むのかー、などと思っていたのですが、中巻から面白くなって一気に読めました。
蒔岡家の4人姉妹の物語です。戦前から戦中のころの、没落資産家蒔岡家の結婚問題をめぐって、あれやこれや事件が起こります。事件と言っても大したことはないんですが、次女の幸子を中心に、引っ込み思案で行き遅れの三女雪子、現代的?自由気ままにふるまう末娘こいさんの妙子、上方育ちで東京に行ってしまう長女の鶴子はあまり出てこないですが、この4姉妹の、主に幸子の見た雪子の結婚問題を中心に物語は進みます。
早くに親を亡くして、幸子が親代わりで雪子や妙子の世話をして、幸子自身は結婚して旦那さんも婿養子をもらっているのですが、本来、長女(鶴子も婿養子をもらっている)の家が本家なのに、雪子と妙子は、幸子と鶴子の家を行ったり来たりしていました。どちらかというと幸子の家のほうが居心地がよく、旦那さんの都合で東京に行ってしまう鶴子について雪子は行くのですが、居心地が悪くて、幸子の家の方に戻ってきてしまいます。その間にも、いくつか雪子の縁談が持ち上がります。なかなか縁談がまとまりません。
当時の没落資産家の結婚問題は大変なものだったと思いますよ。基本がお見合いですから、必ず身辺調査はするし、会ってみて、本人同士が良いと思わなくても、周りにのせられて縁づくことだってありそうです。雪子のお見合いも、周りのおせっかいなおばさんたちの尽力でまとまりそうになったこともありましたが、何せ引っ込み思案で、電話対応もろくにできない、そんな雪子も、最初は自分がお見合いを断っていたのに、ついには相手から断られるようになっていき、34歳くらいになってしまうのです。
末のこいさん(妙子)が自由奔放な性格をしていて、駆け落ちをして新聞に載ったりした経験があって、そのことが雪子の結婚に暗い影を落としているんじゃないかと、幸子は思ったりもするのです。最後までそうでした。妙子が身分の低い人と交際していることが知られて、雪子が破談になったのではないだろうかと、幸子は思います。
そういう世の中だったんですね。
まあ、うちのおばあちゃんの世代ですかね、うちの祖母も、いいところのお嬢様だったのですが、女3姉妹だったので婿をもらって家を継ぎました。父や叔父の結婚に当たっても、家柄を重視したそうです。お嫁さんの家柄を認められなかった3男の叔父は勘当されてましたしね。大きくなるまで会ったことがありませんでした。うっすら当時がうかがわれます。
まあともかく、どんどん話が展開していくのは、妙子(こいさん:大阪では末娘のことをこいさんというらしい)の行動ですね。駆け落ち相手とつながってると思いきや、その駆け落ち相手の家の丁稚だった男と付き合うようになって勘当されたり、その丁稚だった男が壊疽で死んでしまったり、今度はバーテンダーと付き合いだしたり、駆け落ち相手と切れないで困ったり、病気になってみたり、結婚してないのに子供ができてみたり。そういう自由奔放な行動を、幸子が一所懸命長女や旦那にたいして弁明するのですが、雪子の縁談がまとまらないのも、最後には妙子のことを知られてしまうからだ、なんて思いこんでしまいます。
まあそれでも話は続く。
時々、鶴子以外の3姉妹と幸子の子供、旦那とお花見にいったり、映画に行ったり(その映画の題名までかかれていて、本当に谷崎は細かいなあと思うのですが)、当時戦前の大阪京都の風俗が描かれていて、とても美しくて、関西のことよくご存じだなと思ったりしました。ずっと関西弁でしゃべっているのでそれが音楽的でとても心地よかったです。
あと、外国人が出てくるのですが、どうしてこの物語に外国人が必要なのか、考えてみました。当時の上流階級の人たちは、外国人特に欧米人と付き合うことに一種のステイタスみたいなものを感じていたのかもしれません。それは、英語やドイツ語ができること=教養があることの表現かもしれません。お隣にドイツ人の子供連れの家族がいて、幸子の娘悦子が仲良くして、彼らが帰国しても手紙の交流があったりします。ほかにも、上海で暮らしたロシア人なども出てきます。
この時代のほかの作家さんは結構外国文学を読んでいたりして、外国にあこがれみたいなものがあったのだと思います。今では英語ができることくらいは当たり前になりましたが、当時は外国語の一つでも知っていればすごい教養がある人と思われたんでしょう。
それから。妙子は「新青年」を読んでいたみたいですね。新青年といえば、昭和初期に発行された、大衆文学を掲載した雑誌で、私は将来これの研究をしてみたいと思っているのですが(なので、新青年に掲載されていた江戸川乱歩や小栗虫太郎などを好んで読むのです)、谷崎も読んでいたと思うとちょっと嬉しいです。
この作品は、何となく書き始めて終わるのかどうかわからないまま書きすすめて物語を作る谷崎の従来の作品群とは異なり、ちゃんと計画的に書かれたもののようです。確かに、いろんなことを引き起こす妙子の行動は計画的でないと書けません。次に何がやってくるのか、単行本の裏の筋書きを読んで、これがくるぞ!と構えて読んでしまっていたのですが、二転三転しつつも、最終的には彼らの行く末まで見えるように終わっています。まあ、戦争が邪魔をして、もし「続・細雪」があったとしても、この美しい姉妹物語が美しいまま進むかどうかはわかりませんが、そこまで書かなかった(書き始めたのは戦中で、書き終わったのは昭和23年くらい?)こと自体が、読者に対するメッセージなのではないかなと思ったりします。