ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「泥棒日記」ジャン・ジュネ

10日以上かかってしまいました。結構読むのがしんどかったです。


泥棒というと私は華麗なるアルセーヌ・ルパンなんぞを思いだすのですが、この話、というか日記というかエッセイというか、詩は、もっと地味なコソ泥、乞食、裏切りの泥棒遍歴です。これを書いたのがジュネ35歳の時で、それまでの歴史(ヒストワール)を書いているようでした。生い立ちと育ちにちょっとだけ触れていますが、大体は、泥棒という人生哲学でした。ぱっとした話の山はなく、魅力的なキャラがいるわけでもなく、ヨーロッパ各地でちまちました盗みを働き、牢獄に入れられ、そこで友達になった人とまた「いい話」の泥棒行為を行う。という感じです。
主人公である筆者ジャン・ジュネは、ある人に依存する癖があるようです。彼にとって絶対的な人物というのが、前半と後半とそれぞれ一人ずつ登場します。泥棒として立派なわけではなく、男色の意味で依存しているわけではなく、絶対的な、神のような、逆らえない、感情を探ることもしない、そんな絶対的な存在が2人現れます。最後は、その2人目の絶対的な存在の持ち金を盗もうと、一人目の絶対的な泥棒が彼に話を持ち掛けます。その絶対性というのは彼らなりの愛なのですが、話はその後どうなったか書かれずに終わっています。


前半は、それまでの泥棒遍歴。文章を読んでいると、てっきり中年男の話かと思ってしまうのですが、彼が泥棒真っ盛りだったのは20の時。薄暗い雰囲気で書かれているので、ぴちぴちの20歳を思い浮かべることができません。20歳なんてきれいな子供であるはずのころに彼はもう男色に走り、乞食を経験し、感化院を経験し、牢獄に入り、ちょこちょこと必要なものを盗み、寝る場所もなく暮らし、身体を売ったりまた相手をだましたりして、かなり薄暗い青春を送っていたようです。そこから20台中半くらいまでの生活が一応ストーリー形式で書いてあります。泥棒のヒストワールになっています。


後半は、ヒストワールではなく、エッセイに近いです。いつのことか明記されていないですが、登場人物をみているとやっぱり20代半ばくらいの話だと思います。バラバラなエピソードが並んでいる感じです。泥棒の哲学について前半より明確に書かれていて、少し読みやすくなっています。


全体的に、この人は詩的な文章を書きます。私は詩的な文章が苦手で、それどころか詩的な文章を書く人は小説書きには向いていないとすら思っています。そういう意味で、本当に読みにくかった。彼は監獄を宮殿にし、乞食を王宮生活にする詩的変換ができます。サルトルとは全く逆という感じです。が、ジュネが終身刑になった時にサルトルは運動して彼を解放したんだったかなんだったか。ついにはサルトルは「ジュネ論」なども書いています。自分の持たないものを持っているから好きなんですかね。コクトーとは詩的な面で通じ合うようで、コクトーはジュネを高く評価していました。


まあともかく読みにくかったです。現実的表現がいきなり詩的表現になっていて、どれがストーリーに直結しているのか、どれがジュネの見ている幻想なのか、わからなくなることが多かったです。文学的評価が高いのは、まあ納得できますが、面白い快活な話ではなく、終始漂う薄暗さ、臭さ、垢に汚れた汚さに滅入ってしまいました。


本当は「花のノートルダム」を買ってあって、それを読もうと思っていたのですが、どうも訳がよくなくて全然読めなかったので、「泥棒日記」にしたのですが、思えばパリで日本文学を教えているときに翻訳文学の講義があって、その時に高校生男子にこの「泥棒日記」を勧めてしまいました。まあ、過去に一度読んでいるので勧めたんですけど。過去に読んだときにはちょっと厭世的なイメージをうけただけだったんですが、だから高校生に紹介もできたんですが、男子高校生に男色の世界を紹介したのはどうだろうと今になって思います。ただ、一つ言えるのは、ジュネは曇りのない目で事実をとらえ、豊かなイメージで詩的世界を構築する能力が非常に高いので、近代アートが好きな男の子なら好きになるんじゃないかなと思います。


フランス文学の次は、また日本の大衆文学に戻ろうと思います。次は歴史(考古学)で、9月に入ってからアーサー王シリーズを読もうかなと。気楽に読める楽しい本がいいですね。

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