ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

数学の話

私は中学校3年生まで分数の計算ができませんでした。


というか、分数がなんだか理解できませんでした。因数分解とか方程式は解けたんですが、答えが分数になると、止まってしまって、うーん、そんな数は存在しない、と思ってしまっていたのです。


うちは3姉妹です。10センチのカステラを3人で分けるとき、一人あたり、3.333333…センチとなるわけです。絶対誰か一人が、0.00001センチくらい、得をしている。それが許せなかったんですね。どんなに小さな単位になっても、誰かがわずかに得をする。平等な姉妹の中でそれは許されない。


なのに数学では、10/3って。まるで割り切れたような顔をして。おかしいだろ!!


その後の数学では、0.3333…は循環小数で有理数であるといわれて、まるで正当な市民権を得たような顔をしている。いやおかしいだろ、10/3は割り切れない。10センチのカステラを平等に3人で分けることができないんです。それは実際に存在しない数なのに、どうして理があり、存在する数のような顔をしているのか!!


ということで、それを納得するほど大人になった中学3年生になって何とか納得したのでした。というか、「もうわかんないなら覚えなさい!」と親に怒られて覚えました。


ほかにも数学ではいろいろな逸話があります。大学入試の時こそ数学は無敵で、何でも解けたんですが、高校入試の時に、解の公式というのを覚えなければいけなくて。


四則演算だけでできている世界が、「暗記もの」になるのは許せない!


ということで断固覚えるのを拒否しました。証明問題もそうです。証明問題は、お行儀よく教科書に書いてある手法で書けば正解なのですが、そんな、まるで国語のような問題が数学にあることが、許せなかったんです。


なので、数学の証明問題はいつも自己流証明。


大人になって塾講師や学校の先生をやるようになって、数学にも覚えることがある、ということを呑み込めましたが、四則演算と三角形だけですべてが語れる数学において、そもそも暗記するなんて言うことは、なかなか許しがたかったです。


微分積分を習ってからスムーズに数学は進みましたが、入試はクリアできても、大学に入ってからはせいぜい物理数学のみで、純粋数学は避けて通りました。


私は理屈っぽいのが大嫌いなのです。だから、大学の数学は、嫌いでした。考えることが嫌いだったんですね。あるものをあるがまま受け入れることは好きでした。なるべく自分の思想を取り除いて、偏った見方を取り除いて、見たものを見たままに語ることが、自然科学だと思っていました。自分の意思で何かを考えるということは、自然に対して反旗を翻すようなものだと思っていたのです。


それが正しいかどうかはわからないけれど、私の研究手法は、みんなが知りたいと思ったことを知ること、でした。そういう論文を出してきて、結構周りの人は面白いと思ってくれていたみたいです。自然にはこんな不思議が隠されていたんですよ、というのをお知らせするのが自然科学者の務めかなと。


それが。ここにきて社会科学系の学問に入り込んでしまいました。主義主張というのを持たなければいけなくなりまして、これが厄介で。


熟考型の上司は、私の、ものを考えない力を、めためたにぶった切ります。ただ、私には上司にはない勘や見抜く目はあるので、そこは認めてくれているようです。正反対なんですね。やりづらい…。


どうすれば考えられるようになるんでしょうか…もちろん勘や見抜く目はそのまま持っていたいです。


今日は歯医者に寄って帰ってきました。そろそろ麻酔が切れるので、練習始めようと思います。

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