ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

ピアノの先生からの電話

自己実現の欲求はなくても物欲はある私。なんでなんだろうと考えたんですが、
「物があると嬉しい」
ということに尽きると思います。


子供のころ自分はあまり自分のものを持っていなかったので(洋服もお下がりだったし、文具も少なかったし、本なんて中学校に入るまで一冊も持っていませんでした)、自分のものが持てるというのは、何というか、子供時代にもてなかったことに対する代償行為なんだろうと思います。ものに対する執着もすごくて、捨てられない…例えばお菓子の缶とかも、自分にとっては思い入れがあるから捨てられない。
子供のころ、色鉛筆のケースを母親に捨てられて、大泣きして、ごみ収集車から取り返して来いと母を困らせたことがあります。そういうものにも、愛着を持ってしまうのですね。


かわいいもの好きも、結構重症です。なぜかわからないんですが、妙なかわいいものに惹かれて、手にしてしまいます。愛くるしいものに興味を示して、自分のそばに置いておきます。
職場で私をいつも元気づけてくれる、「ひだまりのこぐま」ちゃんです。見ていると目がとろけてしまいます。

これが腕がふらふらしていつも動いています。もったいなくて容れ物から出せないんですけどね。キャン★ドゥで売っていて、シリーズ全部購入してしまいました。今は職場用、自宅用、実家用と各地に置いています。


5時半過ぎから脳内伝達物質欠乏が始まったので、急いで帰ってきました。7時に帰宅してすぐ薬飲んで、それから夕飯をどうするか考える。まったく食欲わかないです。今日は、7年ぶりくらいにポテトチップスを食べたのです。それと、薄皮まんじゅう68円も。ダイエット中なのにそれはいかんだろうという間食でしたが、これもずっとずっと食べたいと思っていたもので、食べなければ仕事ができないと思いこんでいて、仕事をするために食べました。
つまりですね「これ食ったんだからしごとしろよ」ということです。
食欲は満たされた。あとは嫌なことちゃっちゃと片づけてしまおう。ということで片付けて帰ってきました。薬が切れてシャンビリ感が抜けないので薬が効いてくるまでこうしてBlog書いてます。早く練習したいですが、手足もカチカチです。

昨晩は、11時ころにピアノの先生から電話がありました。先生の自宅でサロンコンサートをやるので出てくれないかとのことで。1時まで話していました。私が子供のころから知っている先生なので、懐かしい話がいっぱい出てきました。

私の家は貧乏だったのですが、姉がピアノの才能があって、先生にタダでレッスンを見てもらっていました。それについていった子供の私は「私もやる!弾かないと帰らない!」と頑固にへばりついて主張したらしいのですが、その時はお遊びでちゃんちゃとやっておしまいでした。10歳になってから、先生がうちに来ていた時に、姉の弾いている曲を私が真似て弾いているのを見て、私もタダでレッスンしてくれることになりました。母はそれでは悪いからというので、妹も先生にお世話になることになって、妹の分の月謝は払うことにして、先生に3人見てもらうようにしたのです。姉は周囲の期待通り音楽大学の付属高校に入りました。私はちっとも先生の言うことをきかず、弾きたい曲を弾きたいように弾いてしまって、きちんとしたピアノの基礎をつけることができず、専門の道には行きませんでしたが、先生はそれでよかったと言っています。

音楽の先生になるには、ちゃんとした音楽の基礎鍛錬が必要です。ピアノだったら、どんな教材でもいいから、基礎作りのものをしっかりやるべきだそうです。私の時代はバイエルが主流だったのですが、私は大幅にすっ飛ばしてしまったので、その辺の基礎がないんですね。先生曰く、あまりに早く進みすぎるので、ちょっと待ってと言いたい気持ちがあったんだそうですが、私がどんどん弾いてくるので、仕方なかったんだそうです。
先生曰く、子供のピアノ学習は、バイエルを終了できるレベルに達すれば、その先は行けますが、バイエルを終了できない子供はその後も伸びないのだそうです。それを私はちゃんとやらなかった。すっ飛ばして、半分くらいしかやっていないんです。

私は着々とブルグミューラー、ソナチネアルバムと進み、王道である古典派ソナタの世界に一応入ったんですが、解釈も何もなしで、モーツアルト的に、とか、ハイドン的に、とか、ベートーヴェン的に、なんてことは全然気にせず、全部自分の音楽として演奏していました。そこで先生は「この子に音楽の道はダメだ」とあきらめたそうです。

そのうち、変な世界にはまり込んでしまい、中学生の時はリストに傾倒し、ラヴェルを発見し、アルバンベルクを好んで弾き、高校生くらいになるとバンド活動していたのであまりピアノのレッスンにはいかなくなったけれど、発表会だけは出ていて、ラフマニノフとかスクリャービンを弾いていました。「自分の好きな作曲家」というのがわかってきて、曲を通じて作曲家に出会うことを知ったわけです。そのあたりから、ベートーヴェンの奏法、モーツアルトの奏法、ハイドンの奏法、それらの音楽理論というのがわかってきました。

もともと楽譜を見て弾くことは苦ではなかったし、覚えるのが早かったので(先生曰く、今までの生徒さんの中で、私ほど暗譜するのが早く正確だった生徒は、比較対象がいないんだそうです)、曲は頭に入っている。いつでも思いだして分析できる。学校の退屈な授業中に思い返して、ああそうかと納得したりして、今まで勝手なこと弾いていたんだなあと、大変反省しました。先生が私に音楽の道をすすめなかったことはそこでよく理解できました。
でも一回理解してしまうと早いのが私の才能なので、そこで奏法や解釈を学んでしまったら、もう後は早かったですね、どんどんコンクールで入選、一番進んだときはオーケストラとベートーヴェンの皇帝をやらせてもらえるくらいになりました。

でも。私がはまってしまったのは、ピアノではなくてヴァイオリンだったのです。そこから人生が狂っていきます。

シャンビリ感が収まってきたので、練習してきます。

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