ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

やることがあると助かる。フランス語+ピアノ

一人で家にいたらおかしくなってしまう。


というので今日はフランス語と、ピアノに行ってきました。
フランス語は、最近うちの先祖の事を調べてるっていう話をしました。結構私の認識とは違っていて、びっくりしてる。
まず、固定資産税の請求書にはうちの建築年が明治2年になっているけれど、法務局の登記簿では明治40年代に最初に登記されている。これは閉鎖登記簿というやつを見る。
登記簿では、うちの曽祖父が買い取ったのは大正4年になっているが、うちのおばあちゃんはこの家で生まれている(明治45年生まれ)。
ということは他人の家に住んでたのか??


この土地は、大正4年まで、他人のものでしたが、登記簿には、うちの一族がこの土地を担保にお金を借りたことが書かれている。


そういうことあるんだ???ええ??自分の持ち物じゃないと抵当に入れられないんじゃないの??
少なくともうちの蔵には、明治40年ごろのものがあり、ってことは当時住んでたんじゃないのかな??
そしておばあちゃんはこの家で関東大震災にあってる。よくその話は聞いてました。


あと、曽祖父の戸籍と曽祖父の戸籍の番地が違う…。
その前は取得できないというか戸籍がないらしい。


曽祖父の父は天保10年生まれ。普通戸籍謄本には出生地が書いてあるんだけど、その父から家督を相続し戸籍を作成したとしか書いてない。


①うちに伝わる話:祖母明治45年生まれはこの家で生まれている。祖母の祖父(曽祖父の父)の屋号がこの家に伝わっていた。つまり祖母の祖父(曽祖父の父)はこの家に住んでいた。また、明治40年ごろのいろんな道具が蔵にある。


②戸籍謄本からわかること:最古の戸籍が曽祖父の父。その父(曽祖父の祖父)は秩父出身で、この町に来て「うち」の家督を相続している。だからうちのもともとのファミリーネームは違うんです。
昔の村の名前で、番地は今のうちと同じ番地。ただ、曽祖父の戸籍謄本では、番地が違う。


③登記簿謄本の情報:うちの曽祖父が大正4年にこの家の登記をしている。土地の登記簿にはうちの一族が、大正4年以前、明治36年にこの土地を抵当に入れてお金を借りている。


④町の歴史研究家:この家は少なくとも明治36年まではほかの人の家だった。いつうちの一族が住み始めたのかわからない。


うーん。混乱している。町の名前も変わっているし、家が建ったのは確かに明治2年だと思うけれど、いつうちが購入したのかわからない。


もちろん昭和に入ってからは、この家で生まれた人に何人かあってるのでわかります。近所に父の一つ上の生き証人が住んでますから。


まあそんな話。


それからマクドで食べて、鶏肉のレモンと塩のバーガーがおいしかった。
1週間ほとんど練習していないピアノをちょっとだけ練習。


レッスン。
たかだかチェルニー(大量に練習曲を作ったベートーヴェンの弟子。ピアノ学習者はチェルニーの練習曲を大量にやる)に対して、古典派的なアプローチ、ロマン派的なアプローチ…、凄い先生だ。どっちもできるまで曲は進まない。


エチュードは大体ショパンあたりをやるのだけれど、指の練習というか、トレーニングには、やっぱりチェルニーがいいです。私もほとんどやっていたけれど、再履修です。


で、ショパン通してカプースチン通して…おしまい。


その後、母のお見舞いにと思ってめっちゃ高い紅茶をデパートで購入。ティーバッグ15袋で4千円。
これからものが食べられなくなったら、せめてお茶でも飲んでほしい。


帰りのスーパーで母の大好きな饅頭発見。購入。


明日見舞い行くか。
でも明日夜は雪だそうで、家に帰れないかもしれない。
12時までにいって、すぐ帰ってきても家に着くのは4時くらいになる。


遠いんだから、これから入院は、うちの姉妹の中間地点にしてほしい。


いろいろ考えたけどね。
うちで面倒見たら姉も遠くて来られないっていうし。
うちで介護することは、賛成1票、反対2票で可決され。
じゃあどうするのって話よね。


まあいいやこれは今度考えよう。


とりあえず、数日食べてなかった夕ご飯を何か…。


お湯沸かすのもめんどくさい。
こんばんは洗濯しないとなあ…。


明日は、どうしよう。病院行こうか。雪降るからやめるか。

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