母の生きてる顔見るの最後。
そんな思いで、退院の医師説明にいくため、今日は雪降るからと歩いて駅へ。
6時45分に家を出ました。
あまり食べられないので、せめて飲み物にとおもって、15パックしか入ってないのに3800円するおいしい紅茶と、お饅頭と、あと、母の母、私にとっては祖母が作った手編みのベスト。これは母がこっちにいるときにずっと着ていたもの。
最後までこれは手放さないでほしい。
先生の説明はなんだか肝心なことを避けていて、病名は血液の病気、これから毎週病院に来てくださいとのこと。
もう生きられないことは言わないらしい。
我々も、今日は質問しないことにして行った。
母は妹の家に帰っていった。
いつもそう、私は負担はするけれど、母は私の方を振り返ってくれない。私はいつも貧乏くじ。母の最期の時間くらい私に欲しかった。でもそれはできない。こっちに来るだけ負担だからもう行かせないと言われた。
母はまた来る気でいるから、私がなぜ祖母が編んだベストを渡したのか、いまいち理解していない。こんなん、埼玉いったときに着るからおいておいていいのにって。
すごい我慢した。
もう私は会えないと思う。
お葬式やお金の管理は私がやる事になっている。遺産相続は姉がやる事になっている。
私には最後の時間もくれないんだね…。
母たちが車で帰っていくのをずっと見送っていましたが、帰り道、病院から駅まで、とても人には見せられない顔をしていたと思う。
地元につくと、牡丹雪でした。
とっさにタクシーにのって帰ってきました。多分これ以上雪が降ったらタクシーも止まっちゃうかもしれないです。
2時半くらいに家について、あーおなかすいた。何もないや。
もう何かこれで私はいろいろ終わった感じ。
私が何を主張しても、もう会えないんだ…。
今日私が無口だったのは、母は気が付いているだろうか。
勘が鋭い人だから、わかると思う。
気持ちを押さえて、悔しいと、でもそれは自分のエゴじゃないかと、金曜からずっと戦ってきた。苦しいです。
明日は仕事に戻らなければ。