ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

うちの蔵は宝庫らしい。

朝からコツコツ仕事をしておりましたら、近所でいつもおせわになっている、庭の草刈りとか植木の手入れを世話してくれてる方から、うちを見に来たいといっている人がいるというので、一緒に家の前で1時半に待っておりましたら、お客様がいらっしゃいました。


我が家は珍しい明治古民家なので結構見学者はあるんですが、大体は大工さんが案内してくれます。今日は私に案内してほしいとのこと、母がいれば本当は母にお願いしたいとのことでしたので、私が接待に出たわけです。


3人いらしてそのうちの2人は、いかにも地元の、埼玉のおじいちゃんという感じでした。もう一人、若くて見るからに賢そうな人が。


3人とも私の家の歴史をなぜかよく知っておられ、そもそも我々が知らないような、ご先祖様がいつこの地に来て、どういういきさつで家を任され、曾祖父がどんな名士だったか、ということを本当によくご存じで。そのあたりは江戸時代からうちのことが記録に残っているという…ええええ。検地帳というのがあってそこにはだれがいつこの町に来て何をしたみたいなことが書いてあるそうです。


びっくりしました。
うちのご先祖様は、江戸時代に、秩父の大宮というところ(あるいは岩田というところ)から出た人間で、この町の大地主Yさんの家で草刈りをしていたところ、大変優秀だったと褒められていたそうです。
その地域での5人組をなす一つの家、私の家ですが、そこの世継ぎがたえてしまったので、江戸の中期か後期くらいに(ここはよく聞き取れませんでしたが)、よくはたらいた私のご先祖様がこの家に入り、家を継ぐことになったそうです。
それで、明治2年に立てられた今の家を、明治5年に買っているんです。


家はS木工所というところが建築した家なのですが、なんとその木工所の後継ぎさんが92歳で生きていらして、その方は、この私の家に先祖が住んでいた(もともと明治2年から5年まではSさんの家だった)ということは知っていて、ただ、いつ家を売ってうちの一家が住みだしたか知らないというのですね。
私のほうでは登記簿を取ってあるので確認できるのですが、明治5年に取得し、そのあとうちが代々継いでいたのですが。


びっくりすることに、うちのご先祖様の親族のこともみんな知っているし、曾祖父が(ちょっと最近話題にした、名義が曾祖父の土地があるといっていたその曾祖父)、町の名士と呼ばれていて、なんかいろいろ書類を残したということが、他の書類でわかっているんだそうです。町の記念の写真とかにも掲載されているらしいです。へええ。


ご老人たちはうちの家が建つ前のこと、江戸時代から、このあたりがどうだったか、いつ道路ができて、いつ人が集まってきて、秩父から出てきたうちのご先祖様がどうしていたかというのも知っています。それは江戸時代からの記録にすべて書かれているんだそうです。
(ちなみにこの方たち、それ以前のご先祖様のことも知ってました…。うちがある武士の一族だということとか…調べると昔の書類に出てくるんだそうです…知らんかった)


いろいろ家の歴史を教えていただきました。


それで、家の改築したところ、特に2階を中心に見学されたのですが。おじいちゃん2人は大工さんなのか、超詳しい…。ここは何があったんじゃないかとか、この木は何でとか、木のわれがどうだとか、大黒柱の上に油壷をおいてその油で大黒柱を磨くんだということとか。
あと家のうだつの梁にかかれていた漢字も見てもらいました。よく見えないからというので若い人が写真に撮ってみてくれましたが、建築当時のものですが、なにかのおまじないだといっていました。昔はそういう風習があったんだそうです。


それで、2階の窓から見える蔵に、若い人が興味津々…。


昔、うちが蔵を立てるので、裏の畑の人がそこが日が当たらないから困るというので喧嘩になった、ということを、そのおじいさん2人が言うわけです。でもそれは江戸時代のことだったそうです。でもうちの蔵は江戸じゃないんです明治なんです。
それも知りたいので、みんなで蔵に入りました。


私なんて、30年ぶりくらいに入ったかな??
2階の奥のほうの箪笥から、古い時代の記録がたくさん出てくる。
たいてい、古い物、いいものは、もうすでに持ち出されてしまい、うちには何も残っていないはずなのですが…目ざとく、若い人が見つけましたよ。ぱっとみて「これは写真」ってすぐわかる人。


この人は郷土史の研究科。すらすらとわが家の歴史を言える方です。
そこでみつけた資料を今日は何点か持ち帰りましたが(昔の地元の高校の写真とか、地元の橋の写真とか、いろいろですね…)その方は写真を見るだけで、これは何時代、ってすぐわかる人なんですよね。


明治のものはさすがになかったですが、大正時代の、みんながまだ着物着てる(ていうか侍だよ!!)ときの集合写真(第一回国勢調査だった)があったり、まあ、面白い面白い。


あるじゃんうちにもお宝。
いわゆる金銭的なお宝は全くありませんが、郷土史の研究家には、喉から手が出るほど欲しくなる研究材料がいっぱいありました。そりゃ、私だって調査したいくらいですよ。


いろいろ聞いてみると、うちの家から、結構偉い人が出ている。東北大に行った博士がいるらしい。この辺では珍しかったらしいです(私だって珍しいよ!!)
それから、曾祖父の兄弟かわかりませんが、陸軍の航空部隊の少佐にまでなった人もいたらしい。それはすごい。うちの祖父が海軍学校の先生で大尉にまでなった偉い人だというのは知っていたけれど、少佐クラスの方が家から出ているなんて。


仙台のほうで働いていたその人の記録が出てきたので、これからぼちぼち読み始めます。戦死なさったんだと思いますが、きっとその時賜った記念品は、うちから持ち出されてしまっているはずです。
うちの一族の中では一番の出世頭ではないでしょうか。


郷土史研究家の方は、古い文書でもすらすら読むんですね…びっくり。私なんか読めない。それでその人が面白がるのは、お店の帳簿とか、借金の記録とか、そういう、私にとっては価値がわからない物なんです。でも話を聞いていると面白くなってきて。


今度は懐中電灯持って、あらためて調査に参りますと。
私は協力できるのはうれしいし、自分の家のことを、自分の一族でもないのにそんなに詳しく知られているなんてびっくりだったし、世間て、田舎の世間て、こうして代々知り合い代から、怖いんだなあと…。


頑張って土地問題解決して、曾祖父に報告に行けるようにしよう。頑張ろう。

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