ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「ピアノの歴史 楽器の変遷と音楽家のはなし」大宮眞琴

ブックオフで手にしてしまいました。買って正解の本でした。今まさにピアノに集中しているので、今まさに読んでよかったと、非常に思うのです。


本書は1994年にまとめられた本で、大変古いですが、それまでのピアノの歴史、鍵盤の話に始まり、オルガン→クラヴィコード→ハープシコード→フォルテピアノ→ピアノの流れを解説してくれています。


いろいろ書きたいことはあるけれど、バッハとベートーヴェンとショパンとリストでは、今はみんな同じように弾くけれど、弾いていた楽器が全然違うのだということです。


バッハの時代にはまだピアノはありませんでした。クラヴィコードがあったので、基本的にそれで作曲されたのが、平均律やシンフォニアなどだったそうです。この時は、箱みたいなピアノで鍵盤数も非常に少なかった。鍵盤で押されてハンマーが下から弦をたたくという、簡単なつくりでした。音量の調節もできなかったから、当時のバッハの譜面にはペダル記号も、強弱記号もありません。でも、音を突然強くしたり、弱くしたりは、機械的操作できていたらしいので、バッハは、Subit PやSubit Fを使用して弾いても現代ピアノで再現できます。


ハープシコードは正確に言えばピアノとは分類が異なる楽器で、この本で取り扱われていることに違和感を感じています。でもこの楽器で現代鍵盤楽器演奏の基礎となる、スカルラッティやクープラン、ラモーらが作曲していたようです。あと重要な人物はヘンデルですね。ヘンデルはオルガンの名手でもあったんですが、ハープシコードの名手でもあったそうです。
ハープシコードはクラヴィコードよりも音の強弱が出しにくく、直線的な音のようです。それに対して、ピアノもフォルテも出せる楽器として出てきたのがピアノフォルテ、今のピアノのご先祖様となります。
ピアノの最初の楽器が出てきたのは1709年。バッハやヘンデルがまだ20歳だった頃だそうです。ピアノの打弦機構が開発されます(ハープシコードは爪でひっかけて音を出すので、打鍵楽器ではないのです)。


ピアノ開発は、オーストリア継承戦争によってヨーロッパ本土からイギリスに移ります。イギリスがピアノの本拠地だった時代ですね。ここでハンマーやアクションの改善が行われ、スクエア・ピアノというものが普及していきます。四角い形の楽器です。やがて、ハープシコードの本体と同じような形のグランドピアノが、あのブロードウッドによって作られるようになります。


ドイツでもウィーンで主にピアノが進化し、ウィーン式アクション(鍵盤の打ち方のメカニズム)が作られます。


フランスでもピアノは独自に発展したのですが、イギリスやドイツから輸入されたスクエアピアノを改良して、独自のアクションが作られます。今のピアノのご先祖様ともいえるダブルストップアクションです。これが、エラールの仕事です。フランスのピアノはちょっと鈍いと思われるのはこのころの2段階の打撃があったからです。でもこれでピアノの発展の基礎ができました。


ハイドンの頃は、まだ鍵盤楽器の十字路と言える時代で、クラヴィコード、ハープシコード、ピアノフォルテの時代です。ハイドンのピアノソナタには面白い装飾音が多いのですが、反応の速い楽器でないと弾けないようなものがあります。


モーツアルトの時代は、ピアノの直接のご先祖様があった時代です。スクエア・ピアノのための曲もたくさん書きましたが、ウィーン式アクションを用いたピアノを使っていて、このピアノは音量的にもオーケストラとの共演が可能な楽器だったために、たくさんのピアノ協奏曲を書き残しています。


ベートーヴェンの時代はもうかなりピアノの基礎ができていたのですが、音域の拡大という問題がありました。ベートーヴェン自身も、音域ギリギリつかって表現したかったようで、彼のピアノソナタの歴史をたどると、それがそのまま直接当時の鍵盤数を反映していることが分かります。ベートーヴェンの時代はまだピアノの過渡期だったのですね。エラールやブロードウッドのピアノを使っていますが、耳の聞こえないベートーヴェンは音量の大きな楽器を欲しがったり、弦が切れて本体の中で草むらのようになっているような状態の楽器で弾き続けたりしていたのだそうです。


ショパンはフランスのピアノを愛用した素晴らしいピアノ作曲家です。この時代のピアノは私も実際に見ましたが、並行弦で、タッチも弱く、カンカンという音が出ます。まだこの時期もピアノの過渡期であったと思います。すでにダンパーペダルやソステヌートペダルが開発され、いろんな表現が可能になっていきます。ショパンの弟子たちの、ショパンのピアノ演奏力の素晴らしさも語られています。ショパンが愛用したプレイエルは、もともとはイギリスのピアノを参考にして作られたそうです。ショパンはそれと並行してエラールも使っていたのですが、両方を使い分けしていたようです。
同時期にいたのがリストです。ショパンとは対照的に、ガシガシ弾くリストは、時には破壊的と言われましたが、飛びぬけた即興力、初見力、エンターティナーの才能で、さらに長生きしたことで、ヨーロッパを代表するようなピアニストになっていきます。


ここでピアニストの系譜を見てみると、ベートーヴェン→チェルニー→リスト→その弟子たちとなります。ロシアのピアニストたちの元祖も元をたどればリストに行きつくそうです。ギーゼキングやバックハウスなどもリストの孫弟子くらいにあたるんだそうです。リストすごいな~。


リストはスタインウェイの時代まで生きたので、ピアノの改革を目の当たりにしています。フレームが弱く、張力の強い弦が張れず、弦がすぐ切れてしまい、調弦も狂いやすいので、リストの若い頃は、演奏会中に調律師を待機させたり、代理のピアノを用意させていたそうです。そのあたりも改善されて、何よりアメリカの冶金の技術発展のために、メタルフレームの強いピアノが登場します。それを推し進めてきたのがスタインウェイ一家です。晩年のリストは、ベヒシュタインとスタインウェイアンドサンズを使っていたそうです。


スタインウェイはそれまでのピアノ表現を全く変えてしまうような革新的なピアノ制作技術を打ち出してきたそうです。19世紀後半の頃、音楽の新しい時代と言えます。それから現在に至るまで、スタインウェイのピアノは最高峰とされてきました。


この本では書かれていませんが、この著者がファッチオリに触れたらどう感じたでしょうか。新しいピアノの時代の到来と思っていただけたでしょうか。


ヤマハとカワイについても書かれています。ヤマハの創始者は、最初は単なる機械技術者で、何か機械が壊れると修理をしていた人で、たまたまオルガンの修理を依頼され、では構造を写し取って自分で作ってしまえと、オルガンを作成したところに始まります。
今では日本のピアノは世界的にも有名ですが、日本で最初にピアノが作られたのが1900年だそうです。200年の開きがあります。


でもこの200年で、ピアノが成立し、拡大し、あらゆる音楽教育の基礎となってきたと考えると、歴史が浅いなと思ってしまいます。そもそも欧州を発端とするクラシック音楽の成立も、結構最近の事です。それまで音楽は、修道院の中で、変化しないキリスト教伝統として引き継がれてきました。
私達は、そんな最近の音楽事情のあれこれを類推して、演奏しなければいけないわけです。歴史が浅い分、掘り下げやすいです。


この本一冊持って、パリやブリュッセルの楽器博物館に行ってみたいです。楽しめそうです。ブリュッセルの楽器博物館の鍵盤楽器コーナーは素晴らしかったですよ。あれを見に行ったときに今の知識が私にあったら、狂喜乱舞だったでしょう(当時の私はピアノよりストラディバリウスのほうが大事でした)。


よし、ピアノ練習しよう。

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