ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

母と過ごす2、ご飯作ったり、母が風呂敷を作ったり

私は今日はお仕事です。


朝は昨日よりちょっと遅く起きて、母にサラダと味噌汁とパンを提供。
私も同じくらいしか食べられないんだけど。


仕事は全然身が入らないよね、怖くて怖くて。
でも、いろいろネットで、不安を解消する方法など見て、
「心配事の9割は起こらない」
「過去や未来を考えるから不安になる、今を見よう」
という教訓を得ました。
それで少し気持ちが楽になったかな。
最初の、9割は起こらないというのは、私の件には当てはまらない。確実に、その日は来るんです。でも、未来を考えると不安になるというのは、そうだなと思いました。悪い未来を描くことで、何か心に保険をかけているような気がします。


そもそも。
母は廊下を挟んだ隣の部屋で過ごしているのですが、午前中見当たらず、不安になって探し回ってしまいました。雨だし、畑には出ていないし。
単に、寒いからベッドの中で本を読んでいたらしいです。
一番ひどかった時とは異なり、最近は朝から夜までずっと起きていられます。これが病気が進めば、ずっと寝てばかりになるんだと思いますが、今日は元気で本も読み、午後からは風呂敷を縫ってくれました。


さすが裁縫の先生、腕は落ちてないですね、素敵な、透ける生地で、風呂敷を縫ってくれました。昨日の夜私と母で協力して布を裁断し、今朝、私と母で協力して、糸通しを針に通した針で、縫ってくれました(私も母も乱視なので、糸通しをまず針孔にさせない、糸通しのわっかに糸を入れられない、ドタバタ劇でした)。


午後ものんびり読書をしていますが、なんだか夕飯後話していたら、母は、なんというか、条件反射でしゃべってる気がしてきました。
姉が、母は痴ほうが進んできているといっていましたが。これか。
例えばある情報について、その情報がどこから出たか、もう忘れてるんです。うちのおじいさんの海軍時代の勲章やマント、サーベルを、父が売ってしまった、ということを、私は姉から聞いたんですが、それを母に教えまして。
でもそのことは母は知っていても、誰から聞いたのか、もうわからないんです。


とりあえず、前日の食事を思い出す練習からしていただきましょうか。


言葉があやしいというか、こう、条件反射で言葉が出るけれど、それをよく理解していないから語尾が小さくなる感じなんです。
でも、私に何か頼むときとか、ネットで会議しているときとかはしっかり話します。多分疲れちゃってるんですね。


また今度、5月の連休に来ると言っているけれど…無理そうだなあ。


明日は、母の最大のチャレンジ。埼玉から、母の家にちゃんと電車で帰れるか?
途中で気持ち悪くなったり、具合が悪くなったり、病気が進んだら、私の責任です。だから、しっかり食べてもらって、しっかり寝てもらって、しっかり電車で家まで付き添うつもりです。


今日は「のらぼうな」のお浸しを作りました。シラスとあえて、出しまして。歯が弱いから太いところは母は食べられない。でも結構頑張って食べてくれました。


夕飯のメインは、ドライトマトのパスタでした。私の手作り。なんかちょっと失敗。あと、味噌汁。


明日は送っていくだけですが、昼ごはんまでしっかり食べさせ、途中でトイレに行かないで良いように注意して。頑張っていってきます。


5月にまたこっちに来るのは無理かと思いますが、この滞在が母の記憶に少しでも残って、少しでも楽しかったと思ってくれるといいなあ。
ご近所さんには挨拶したし、その後の事は私に頼むといっていたので、多分自分でも何となく覚悟はしているようですが。


さて、昨晩は母のスマホにゴミメールが入るたびに起きてしまってろくに眠れていないので、早めに寝ます。

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