ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

良いお式でした

あいにくの天気でしたが、駅から駅まで2時間の道のり、横須賀まで、叔父のお葬式に行ってまいりました。


私の知っている叔父は10年ちょっと前に父の葬式に来てくれた時の、恰幅の良いおじさまだったのですが、棺桶の中の叔父さんは、見る影もなく骨と皮だけになっていました。肺の病気で2か月ほど闘病して亡くなったそうですが、人間、たった2か月で変わってしまうものですね。それに、これから介護生活だと家族全員が意気込んでいたのに、あっけなかったです。


親族だけの、家族葬。叔母の家族(叔母といとこ2人とそれぞれの旦那さん)、私の家族と、私の母方の叔父と母方の本家の代表が一人。それからいとこたちはそれぞれ男の子が3人いて、全員20過ぎた大きな男の子たちが6人、ぐちゃっと固まってわいわい話していました。いとこ姉妹が仲良しなので、このいとこの子供たちも仲良しです。誰が誰だか識別しませんでしたが、若いながら礼儀は心得ているようで、式の最中は静かにしていたし、静かにすべきところでは静かにしていたし、親の言いつけもよく聞いていたし、いい感じの若者に育ってるなという印象を受けました。


今回はお骨上げまで付き合ってきましたが、印象的だったのが、火葬場に行って、最後のお別れを済ませ、炉に棺桶を入れたあとです。説明で1時間から1時間半くらいでお骨上げになりますと言われて、それまで精進落としで別の場所に移動するのですが、叔母さんが、炉の前でじっと止まってしまって動けなくなってしまって、小さい肩を震わせて静かに泣いているのです。動こうとしても動けないんです。


ああ、愛だなあ…。


叔母は棺桶の蓋を閉めるときに、「クソじじい!」とか言ってましたが、実物がいなくなってしまう時の何とも言えない悲しさ、胸がいっぱいです。
私はそこで涙腺崩壊してしまいましたが(姪が泣いてどうすんねん)、気丈ないとこたちが叔母の思うまでそこで肩を抱いてついていてくれました。


私の父の時、父方のいとこが(彼女のお父さんは彼女が小学生のときに亡くなっているのです)「骨になったら、もうあきらめがつくよ」って言ってくれたのです。でも、その骨になる前が、一番つらかったです。死んだ者は生き返りませんが、あの顔は、あの姿は、あの髪の毛は、あの鼻や口や目は、永遠に失われてしまうのです。
この気持ちは、今思いだしても、泣けてしまいます。


お骨上げの時、立派な骨だったので骨壺に入りきらないといわれました。入らない骨は火葬場にある散骨場に入れられるのだそうです。そうしていいですかと聞かれました。
葬儀屋の人が「まだ入るでしょう、何とかしてあげてください」と声をかけてくださって、納骨の人が一所懸命本当に骨を砕いてぎゅうぎゅうと入れてくださって、全部入りました。
私は、自分の主義主張として、どんな人でも一つの人間の骨は全部一か所に納まってほしい派なので、入りきらないから散骨しますと言われたときに、「それはダメだ!」って言いそうになりました。本来はこういうことに口を出さないはずの葬儀屋さんが、ここで口を出してくれて、納骨の人が頑張ってくれて、何とか立派な骨を全部治めることができました。葬儀屋さんありがとう。


これで、しばらくうちは葬式の予定がないだろうと思います。一番ありそうなのはうちの母ですが、まだ元気に農業やって合唱やってボランティアやって大学に行っているので、2,3年は大丈夫かと思っています。


子供のころ遊んだ横須賀の海岸も、護岸工事が始まって、私たちが遊んだ磯もなくなってしまうんだそうです。遠くに猿島が見えました。昔は立ち入り禁止だったのに、今は観光で行けるらしいです。だんだん、いろんなことが変わっていくんだなあと。人は去り、ものも変わり、景色も変わり、時代が変わっていくんだなあと、ひしひしと感じました。


さて明日は病院行ってから仕事の総仕上げ。切り替え切り替え!

×

非ログインユーザーとして返信する