ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「自負と偏見」オースティン

世界の十大文学の中の一作。


今日は長距離旅行をしたので、最近読めなかった分、しっかり読んできましたよ~。
英文科出身の人に聞いたら、「この作品はタイトルが悪い、ただのラブストーリーとして読めば面白いのに、人間観察とか難しいこと考えて読んだらつまらない」と言っていたのを思いだし、そのつもりで読みました。


新潮社版です。普通この作品は「高慢と偏見」というタイトルでほかの出版社では出版されていますが、この邦題は「自負と偏見」です。


最初読み始めたとき、「なんだこの小学生の優等生が書いたような、情景の浮かばないただのまじめな文章は」と思って、これは訳者の問題なのか、オースティンがこんなつまらない書き方をしているのか、わかりませんでした。ちょっと本屋に寄ってほかの版を読んでみたらもうちょっと高潔な感じがしたのですが。ということは訳者の問題か。


文章がだめだとどんな話もダメになると私はおもっていましたが、この小学生の優等生の文章でも、この話は面白くて途中辞められなくなったりもしました。


ラブストーリーとして読んだ方がいいと言われましたが、私はやっぱり「高慢と偏見」というテーマを持って読みました。「自負」というのはおかしいと思っています。本文中に自負という単語は出てきませんし、自負というより高慢だと私は思っています。なんでこんな邦題にしちゃったんだろうなあ。


物語は19世紀のイギリス。5人娘の2人目キャサリンが話を進めていきます。彼女の家は田舎紳士の家のようで、それぞれの娘に家庭教師をつけられるほどの金持ちではないけれど、まあまあ教育の行き届いた、それなりの家。その近くにちょっとお金持ちの未婚の若い紳士が引っ越してきます。そこから物語が始まります。5人娘の母親は娘たちをいいところに嫁がせることを至上の喜びとしており、早速一番上の姉と何とかならないものかとあれこれしだすのです。


貴族社会が書かれているわけではないのですが、彼らは明らかに社会的な階層を意識しており、ちょっとお金持ちの紳士のところに嫁に行ければというのはお母さんの考え。


長女とそのちょっとお金持ちの紳士の恋愛と、並行して、主人公の次女キャサリンの、あっと驚く恋愛と、一番下の娘の駆け落ち騒動と、一冊の中にこれほどかと思えるほどのいろいろな事件が詰まっていて、そして出てくる人間が皆面白い。中にはわざと「滑稽に見えるような人間を描く」ということを意識している登場人物もいました(5人娘の母なんかそうですね。頭悪そうに描かれてます)。一番いやそうな人間として描かれ始めたある登場人物が、実はこの物語の登場人物の社会的ヒエラルキーの最上部にいて、彼がすべてを解決するわけですが…。その彼の初登場は本当に嫌な人物として描かれています。私はそれを読んだときに「この人がキーパーソンだ」と思ったのですが、やっぱりキーパーソンでした。そういう意味では典型的なシンデレラストーリーかもしれません。


女性にとって結婚は当時はとても大切なものだったのだろうと思うのですが、どこに嫁ぐかで社会的ステータスが決められてしまう当時のイギリス社会の狭さもまた見せてくれます。やっぱり伯爵筋の人は自分たちが上流階級の人間だと思っているし、そんな人間が、一般人ともいえるキャサリンに結婚を申し込むには、相手の身分の低さをどうしても乗り越えないといけないはずでした。でも最後の方ではそんなことどうでもいいようになっています。


5人姉妹のうち3人結婚が決まりました。
話はそこで終わればよかったんです。
その後のことは書かなければ超名作だったでしょう。
なんだかんだ、大大円で終わるように、3人が結婚した後のことがちょっと書かれていて、それがなければ、そこを読者が想像するという楽しみがあったはずです。最後の1章はいらないかな…。


まあそんな感じで今月は寝入りによく読みました。
次はいよいよ本命の本を読もうと思います。
あ、その前に日本文学読みたいなあ…。

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