ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

緩和ケア、ホスピス、うーーーん。

悠長に緩和ケアを受けている暇もないようです。
いろいろ調べてみたけれど私には知識がなくて。
要支援1,2があってそれから要介護1~5なんですってね。
父の時は、植物人間になってしまって、最後まで意識が戻らなかったので、もちろん要介護5で、障害者1級で、病院内でしたが、まあ、脳がやられていただけなので3か月で転院させないといけないという決まりがあり、我々慌てたものですが。


母のがんの場合はそういうのをすっ飛ばしてしまうらしいから、いっそ在宅で介護するのはどうだろうかと思っている。むしろ私はそうしたい。


いろいろ調べたんだけど、在宅の緩和ケアや在宅ホスピスというのはこの辺ではやってない。専門のクリニックだと電車で1時間くらい行かないといけない。
地元の一番大きな病院で、「訪問看護」というのはやってくれるけれど、医者が出向いてくれることはない。
多分最後は痛みのために、麻薬になると思う。そうした時に、どうすればいいだろう。


なんていろいろ考えて。
まあ、今まだ母には話せないので、1週間あるから、その間にいろいろ考えよう。


姉とも話し合わないといけない。
姉は子供もいるから大変。


地元の郷土史を研究している人が来て、我が家の由来を教えてくれました。
うちの家族は、今の家に、明治から住んでいると思っていた。
でも調べによると、私たちのご先祖様は江戸時代にこの町にやってきて、
最初は有力な家の一つとなったらしいですが、その時にいろいろ土地を買っているんだそうです。
で、今よりちょっと南に住んでいて、私は明治の30年代に、私の曾祖父の父がこの住所に戸籍を持っていることから、その時にここに住み始めたんだと思っていたのですが、専門の方によると、住所というか、番地は明治以後、結構ころころ変わっていて、それが本当かわからない、やっぱり法務局行かないと、ということになりました。


確定申告するので書類が必要だから、行こうとは思っていましたが。
閉鎖登記簿というやつを見るんだそうです。


うちの畑の閉鎖登記簿見ると、明治4年まではさかのぼれます。それより前は法務局では扱いがないみたいです。


あと、おばあちゃんのおじさんというのは、大変この地域に貢献したらしく、今にも残る銀行を開いた人として有名だそうです。


今日は蔵から探し出した資料を返しに来たんですが、満足いただけたようです。
メールが使えたらね、全部資料をPDFで送るんですけど…。


地域の人と仲良くなるのもいいことですね。
これから私一人になるんだから。


家が完成したときに、姉家族呼んで、うちの家の前で家族写真撮ろうね、って母といってたのに、それはかなわなくなりました。


初日はご飯食べられたのに、昨日今日は全く駄目だな…。
親だもの、先に死ぬよね。子供が先に死ななかったことだけが親孝行と思って、前向きに…なんていられないよね。


一昨日一日でティッシュの箱2つあけて、鼻の下がすりむけてしまったので、鼻にいいらしい「鼻セレブ」というティッシュを昨日頼んで、もう届きました。


あと、蔵の中から出てきたご先祖様の一人の、いろいろな手紙や遺品、その方のご家族に返したいなと思ってネットで検索していたら、その方はうちで葬式を出しましたが、25歳の若さで飛行機事故で亡くなっているらしい…昭和8年?最後は中尉で、亡くなって2階級上がり少佐で記録されていますが…この人陸軍学校に行ったんだね…。事故現場には碑が立っているらしいです。いつか見にいかなければ。


こんなつらいことになっているのに、土日にコンサート入れてしまって、まあ、土日で母が急変するってことはないだろうけれど、でもそういう見通しが甘くて、どうしようか考えている。転売になっちゃうから公にチケットいりませんかとは言えないし。


はあー。
泣いちゃいそうだけど、コンサート行くか。
土曜は健康診断も入ってるけど…食べてないから出るもんも出ないし、どうしたもんか。


まだこれからだから、悲しいのこれからだから、頑張れ!!

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