ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

頭に細菌が入った話

あれは高校生の時の3月の話です。
3月27日、ボーイフレンドとケンタッキーフライドチキンでお昼をしていた時に、「あ。何かおかしい」という気がしたのです。
28日発熱、カラオケの約束があったのでカラオケに行ってきました。熱はあるけれど元気です。風邪じゃないのかな?
29日、40度まで発熱。バドミントン大会の約束をしていたので行ってきました。体が軽くてめっちゃ強かったです。優勝しました。
30日、42度まで発熱。ほかの高校に進学した中学の同期の子たちとお茶会(というか飲み会)。体が軽くてとても元気でした。
31日、翌日からバイトなので、いい加減熱が下がらないと仕事に支障をきたすと思って病院に解熱剤をもらいに行きました。
病院に行ったら、簡単な検査を受けて、即入院。背中に局部麻酔をされて背骨の骨髄の髄液をサンプルされました。痛かった~ぐりぐりと針金を背骨の間に入れられて、ずずずっと髄液を吸われたのです。
それから一切刺激禁止の部屋に閉じ込められました。光も音も禁止、元気なんだけど動くのも禁止、真っ暗な部屋で、トイレだけは動いていいけれど、ご飯もなし、点滴だけで4日間閉じ込められていました。


病名は細菌性髄膜炎。子供が良くかかる病気らしいのですが、私はもう10台も半ばを超えていたので、可能性としては低かったらしいのですが、先生がそれと気が付かなかったら私はますます高熱を出して死んでしまっていたかもしれないです。


4日くらいしたら熱も下がってきて、もともと熱だけあってだるさはなかったので体がうずうずしていて、我慢できずに腕立て伏せをやって病院で怒られる。
翌日くらいからボーイフレンドが見舞いに来て、ちょっと抜け出して病院の隣のコンビニの前でふたりでうだうだするが、それも怒られる。
病室が一緒の八千代ばあちゃんと病院内散歩してても怒られる。
そんな病気をして2週間ほど入院していました。もう新学期が始まっていて、ちょっと出遅れた感じです。バイトも直前でいけないとなって、店長も大変だったみたいです。いろんな人に迷惑をかけたなと思います。


でも、良かった点が一つありました。その病気の後遺症をいろいろ調べられたのですが、特に後遺症はなかったんです。普通は後遺症が残るらしいのですが。これは後遺症なのかな、突然記憶力が良くなり、今まで全然覚えられなかった英単語というやつが、何の苦も無く覚えられるようになり、社会系科目も古典も楽々頭に入ってきて、あれ?と思っているうちに、成績が学年1番になってしまいました。おお!誰より驚いたのは自分です。でも私の学校って地域で底辺の高校だったから、ちょっとやれば一番になれちゃうのよね。だから、何かの偶然かと思っていたのですが、代々木ゼミナールの模擬試験を受けたら、偏差値が、それまで総合40代だったのが、総合70になっていたのは、びっくりしました。


私の後遺症は、この記憶力の良さだと思っています。病気自体も本当は大変な病気だったらしいですが、本人としては、ふわふわして体が軽くなってとっても元気だったという感覚しか残っておらず、苦しい思いは閉じ込められた暗闇の4日間くらいでした。人間、本気で42度まで熱を出せば、タンパク質の変性作用で、脳の構造が変わるのかもしれないと本気で思ったりしました。


大人はなかなか髄膜炎にはなりませんが、子供さんは、注意してあげてくださいね。私は運よく後遺症がなかったけれど、普通は後遺症があるらしいですから。私みたいに良い後遺症であればいいですが、ふつうは、脳の一部が損傷を受けるので、良い後遺症になることはありません。


まあそういうわけで、底辺人生を抜け出すきっかけが髄膜炎という病気で、この病気にかかっていなかったら国立大学には入れなかったかもしれません。なお、私の高校では、私が国立大学に入った最初の人間で、代々語りづかれることになりました。


というわけで、菌が入って記憶力が良くなった話でした。

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