ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

子供のころの遊び

小さい頃の経験って、もう何十年も経つのにまだ覚えていたりしますよね。


私の父は大手電機メーカーの設計士で、日本の各地にテレビ塔を建て、自衛隊や米軍の通信関係の機器に責任を持つ立場でした。
なので、うちには、電気部品がたくさんありました。仕事とは関係ないのかもしれませんが、コンデンサーや、抵抗や、トランジスタや、基盤部品や、いろいろなケーブルや、秋葉原の電気街の奥地に行くとごっそり売っているような、私からしたら珍しい電気部品が山のようにあったのです。


貧しかった我が家では、長女の姉には母や祖母から女の子らしいものを買ってもらえていました。リカちゃん人形とかですね。次女の私は野生児だったので買ってもらえず、何で遊んだかというと、そういう、トランジスタとか、抵抗とか、電気部品だったんです。父のところから勝手に持ってきて、針金(はんだ)でぐるぐる巻いて、ロボットを作ったりしていました。もちろん動きません。見た目、それっぽければいいんです。ロケットパンチとか、脱出装置とか使ってましたね。子供のころの想像力ってすごいなあと思います。


はんだごても、小学生低学年の時には使ってましたね。ラジオを作ったりしました。コイルに磁石を入れて周波数を合わせるAMラジオです。そのころから短波放送に興味を持ち始め、というのは父が短波ラジオのコレクターだったので、日本以外の国からの放送が聞こえる短波ラジオは、大変興味深かったのです。


父は英語はよくわかっていないみたいでしたが、若いころは短波放送で聞いた外国の放送局に手紙を送ったり送られたりしていたようです。残念ながら父は心臓の持病があり、長時間飛行機に乗れない体質なので、海外に行ったことはないのですが、短波放送で海外に目を向けていたようでした。


で。父がいつもお気に入りの放送局の周波数に合わせて短波ラジオから離れると、すぐ私がいじって、変な言葉や音楽が聞こえてくる放送局に合わせてしまいました。父は怒らずにいてくれましたが、今思うと好きなものを子供に荒らされて、大変気の毒だったと思います。


海外への興味はそういうラジオのことを理解できた小学校低学年くらいからあったかもしれません。姉が地球儀を買ってもらって、天球儀も買ってもらって、年がら年中それをいじっていました。あ、地図好きはそのころから始まっています。


こういう経緯で、大学院でロケットの部品を作ったときとかも、慣れたものでした。やり方を大体知っているので(例えば埃をいかに避けるかとか、指紋をつけないようにとか、はんだごてもきれいに見えても接続されていない場合があるとか、キムワイプで鼻をかんではいけないとか)、ロケットの部品は大体町工場に頼むのですが、現場を見に行って職人さんの腕の良さがわかる程度には見る目ができていました。


今はそういう仕事から離れてしまいましたが、PCの修理は結構得意で、今日もいろいろいじくりまわしていたのですが…。


それどころじゃない、明日上司と面談です…。怖いよう…。怒られないといいなあ…。順調にいけば、月末のプレゼンの原稿締め切りに間に合うのですが、それは本当に奇跡的に何もかもうまく行った場合のみです。


奇跡が起こりますように。

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