ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

蚕と祖父と。

今日は一日プログラムと格闘していました。朝からずっとかじりついていました。
何かが間違っているんだけれど、何が間違っているかわからない。可能性のある所を片っ端からつぶしていったら、何かわからないけれどできてしまった。でもできたのが5時半くらいで、今日はヴァイオリンの練習をするので6時過ぎには帰宅しなければならず、続きはまた明日ということになりました。


お盆休みを13日から19日まで取ることにしました。クリスチャンですが、ちゃんとお盆をやりますよ~。久しぶりに埼玉の家に帰って、庭掃除して、畑も手入れして、ヴァイオリンの練習して、書きかけの書類を仕上げて、と、いろいろ盛りだくさんなのです。ちっとも休めない。ですが、台風も来るみたいですね。今年の春に屋根の修理をしたので、ばっちこい!です。明治2年築、まだまだ頑張れそうです。


昔は、埼玉のうちの一帯は蚕を育てていた農家が多くて、私の家でも祖父母が蚕を育てていました。最初は塵みたいな大きさの小さな蚕に、毎日桑の葉を食べさせて、どんどん大きくしていきます。10センチくらいの真っ白でふわふわの蚕が一万匹くらいいましたね。大きくなって繭を作りそうになったら、竹の網を蚕棚の上にかぶせます。そうすると、網の目に行儀よく1個ずつ繭を作ってくれるんです。その竹の網を出荷していました。


姉は「同じ家の屋根の下に虫と暮らすのは嫌だ」といって、蚕シーズンは埼玉に帰りたがりませんでしたが、私は結構好きで、かわいいし、夜中のしーんとした真っ暗な古民家の土間でむしゃむしゃするかすかな音が聞こえるのが風流でした。


蚕用品、まだうちにとってあります。別にまたやるわけではありませんが、どう処分したらいいのかわからなくて、そのままになっています。糸車とかもあります。
うちはもともと農家ではないので、大規模にはやっていませんでしたが、いくらか生活の足しにしていたみたいです。裏庭は桑畑だったんですが、祖父がいなくなって蚕をやめてしまってからは畑になっています。今でも根っこが残っていて、これが厄介なんですが。


ちょっと離れたところにうちの畑があって、今は誰も使う人がいないので(埼玉まで来て畑したい人がいらっしゃいましたら無料でお貸しします!!農機具そろってます!!うちも使っていいです!!)放置してありますが、そこも昔は桑畑だったそうです。祖父は毎日リヤカーに山盛り桑の葉を取ってきていました。ものっそ食べるんですよね。


よく考えれば祖父は本当に働き者でしたね。東京の会社に行って、蚕もやって、山に入ってヒノキの手入れして(ヒノキも欲しい人差し上げます!70年物くらいです、っていうか山ごといかがでしょうか?)、そうかと思うと日当たりの良いところで本を読んでいました。鎮守府付きのたたき上げの軍人だったので、年を取ってからも体形ががっしりしっかりしていて、突然亡くなるその日まで自転車で畑に行っていたのです。
たまにはじいちゃん孝行しないとなあ、と思ったその日、私が中学生の時、大動脈りゅう破裂で亡くなりました。あまりに突然のことで、びっくりでした。お葬式は町内会館を借り切って、たいそうなお坊さんがたくさん来ていました。祖父は海軍学校の先生だった祖父の生徒でお寺に入った人が多かったらしいのです。あと親戚にもお寺に入った人がいたので、その一団も来ていました。教え子たちが海軍式の敬礼をしていたのを覚えています。


晩酌の後に「わかば」をくゆらせるのがおじいちゃんスタイル。「わかば」はなくなってしまうのですってね。煙草はすいませんが、なんだかちょっと寂しいです。

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