ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

日曜以来実は毎日発作が起きています

昨日は長かったな…3時間くらい呼吸困難で苦しんでいました。
おそらく気道まで腫れてる副鼻腔炎のせい。耳鼻科でそう診断されて昨日から抗菌剤を飲んでいるのですが、飲んですぐ気道の不調が改善するわけでもなく。喉の空気の通りは狭いままでした。


息苦しいと感じ始めたのが夜の9時。気道がふさがりそうで呼吸が粗くなってきました。そのうち手足口がしびれてきて、感覚がなくなってきて、目の前が真っ暗になってブラックアウトしそうで、最後の力を振り絞って、病院に電話しました。私の家から行ける総合病院です。


その病院では、救急で耳鼻咽喉科をやっていないし、私が行った耳鼻科からの紹介状がないと受け付けられないといわれて、どうしたらいいんでしょうと相談したら、駅3つくらい離れている大学病院を紹介してくれました。


そちらに電話をかけて、救急でお願いしますと、息も絶え絶えに申し上げたのですが、症状を伝えたらドクターに話をしてくれたらしく、看護師さんが言いました。「今電話ができていて話せるなら大丈夫です。救急搬送も今たくさん来ていて、たぶん救急車を頼んでもどこにも運べない状態だから、冷静になって、ゆっくりして、あったかくして寝てください」えええええええ!!私もう息とまる!呼吸終わる!


それから7119に電話をかけて状況を話したら(慌てていたのと、意識がはっきりしなかったので、なかなかかけられなかったのですが)、すぐに119番に連絡してくださいと言われたので、連絡して症状を伝えました。そうしたら、来てくれない、行っても病院に案内するのに数時間かかるとのこと…いや私はもう今ブラックアウトして呼吸止まるぜ!!絶賛死にかけだぜ!!


どうしようもなくなって途方に暮れていたのですが、救急の方から「過呼吸にならないように気を付けて」といわれたのがヒントになりました。


今までも過呼吸になったことがあるんですが、これも過呼吸じゃないか?
今までの過呼吸にはなかった手足のしびれとブラックアウトがついているだけで、喉が原因の、同じく過呼吸によくある、呼吸が止まる恐怖心なんじゃないか?


そう思って、呼吸法(過呼吸の時の呼吸法は知っていました)で、1吸って2吐くというのを繰り返しておりました。喉の異物感というのはなくならないし、呼吸はしづらいのですが、落ち着いてきて、手足のしびれは残りましたが、12時くらいに改善してきました。


水曜、今日、出勤日だけれど、こんな3時間も苦しんでいて明日出勤できる気がしない。熱もあるし、副鼻腔炎というのは本当なのだろう。私が怖いのは副鼻腔炎の合併症で気道がふさがることです。これが会社で起こったらいやだなあ。


1時くらいにやっと布団にもぐることができて、5時半おき。でもとてもとても昨日の発作の疲れがあって、熱も出ていたので、会社に出勤することはできず、在宅に変更してもらいました。


そうしたら、会社からPCR検査を受けてくださいと言われたので、朝すぐに町のクリニックを予約し、自転車かっ飛ばしていってきました。


唾液でやるんですね。一人テントの中で待たされて、唾液を一所懸命とって、提出。看護師さんに会っただけで他には誰にも会わず帰ってきました。1790円なり。


午後から仕事に戻りましたが、とても仕事をしている気分ではなく、仕事中も息が詰まって苦しい思いをして、もし私に過呼吸時の知識がなかったら、昨日のように発作を起こして救急車だったでしょう。何とかギリギリ耐えましたが…正直仕事になりません。ずっと、息が止まる恐怖におびえておりました。


メール書かなきゃ、ミーティングのセッティングしなきゃ、明日締め切りの計算結果何とかしなきゃ、と、あれもこれも、たまっているのですが、気分的に、無理でした。


今晩は発作が起こらないといいなと思い…息苦しくなっても、過呼吸だと割り切って、呼吸法をしっかりやる。その程度で救急車呼んだら恥だぞ。しかし3時間の苦しみは長かったです。ぷつぷつと意識が途切れていました。普通、過呼吸で意識失うと、気が付いた時には過呼吸が改善されているのですが、私の場合は改善されないで続いてましたね。原因が、喉の不調が取り除かれないので。


ネットで過呼吸のことを検索していたのですが、まんま私の昨日の3時間の状況でした。違っていたのは、ふつうは数十分~1時間程度でおさまるというのが、私は3時間地獄を味わっていたことです。長いだろ…。原因が、ストレスというよりは気道がふさがる恐怖感だと私は思っているので、副鼻腔炎が改善すれば収まってくると思います。


副鼻腔炎が劇的に改善するということはなく、なんと昨日は耳鼻科で喉の奥を消毒された後に、腫れが喉全体に、舌にまでも広がってしまい、先生何を喉に塗ってくれたんじゃと半分くらいお怒りモードでした。つばも飲み込めないくらい痛かったです。
今日の朝になったらそれはおさまっていました。


PCR検査の結果が来ました。陰性です。
熱の原因はやっぱり副鼻腔炎ですかね。
もう苦しいの嫌だ~。早く抗菌剤効いてくれ…。
普通にピアノの弾ける夜がいいです。やらないとまずい、日曜レッスンだよ…。


今日こそは、ピアノやります。
明日はいろいろ会議があったりするので、仕事頑張ろう。

本当はヴァイオリンが大好きなんです

私は常に頭の中に音楽が流れています。自分の力ではどうにもならない、壊れかけのレコードのように、好き勝手に音楽が流れています。


ちょっとでも聴いた曲だったらその先が続けられるし、音の一つ一つが全部楽譜に起こせるくらい明確に記憶しています。ポリフォニーだろうが、オーケストラだろうが、皆同じです。


音楽は楽譜が読めないとわかったふりしちゃだめですよ。ふり、でもいいから楽譜を読んでください。なんの楽譜を使っているかは、本当はCDに明記してほしいくらい重要です。音が取れなくても理解できてるなんて信じられない。音が分かって初めて作曲者や演奏者が伝えたいことが分かるのですよ。


例えばヴィオラ科の人が良く弾くシューベルトのアルペジオーネソナタ。これはチェロでもよく演奏されるのですが、私の頭の中では、ヴィオラ版とチェロ版が別々に入っていて、それが時と場合によってどちらかが頭の中に流れてきます。


そういうわけで、常に音楽とともにあるので、いちいちCDを聴かなくても十分です。聞いてすぐに覚えられるというのが一つの理由になっていると思います。一人一人の演奏のニュアンスも克明に思い出して頭の中で再現することができます。


それが、その時に手も一緒に動くのですが。
その手の形が、たとえピアノソナタであっても、すべてヴァイオリン・ヴィオラの指の順番で、左手だけが動くのです。


ああ私はやっぱりヴァイオリンが好きなんだなと。自分の音楽の成分はヴァイオリンを通してできているんだなと。


最近全然弾いてませんが、手は動きたくて動きたくてしょうがないようです。
音が入ってくれば自然に手も動きます。


人生の大半を弦楽器とともに暮らしてきたから、それは仕方のないことですし、音楽を覚えるときにひょっとしたら手の形も関連して覚えているのかもしれません。
たまには弾いてあげないと。
楽器にも良くないです。


でも、あまり弾きたくない理由もあるのです。
うちの楽器、安いから、音が出ないんですよね。もっとここをこうしたい、と思うのですが、楽器が追いついていない。特に高い音が出ないです。時代的に仕方がないのだそうです。どんな弦を張っても、これ以上は無理というラインがあります。


いい楽器が欲しいとは思うのですが、楽器探しが大変です。それに、ヴァイオリンはピアノとは桁違いに高いのです。

楽器ははまると抜けられない深い世界なので、語りだしたらきりがないのですが、また弓についても語りつくせないくらいこだわりがありますが、なんにせよ、弾いて生かしてあげないとしょうがないですね。いい楽器を目指そうと思ったら、世界中を探し回る諸費用も含まれて数十億の世界です。そもそもいい楽器というのはすでに所有者が固定されていて、これから入手するのは難しいのです。


ストラドだって数億円規模のものが個人所有になっていて、もっとレベルの高いものは博物館か財団が所有しているのではないかな。


うちの楽器も見る人が見ればわかっていただける楽器なのですが、もう私の代でおしまいです。楽器は古ければ古いほどいいわけではなく、寿命があって、うちの楽器はもう100年は持たないと思います。私が死んだら博物館に預けてくれるよう周りには言ってあります。


高い音でもよく鳴り響くモダンイタリーが欲しい…でもそれは今は考えない。今は仕事を第一に考えましょう。


仕事が一番なんて、寂しい生活だなあ…。

今日が最後の何もない日+和菓子いっぱいの思い出

1月で一日フリーなのは今日が最後です。悔いがないよう過ごさねば。


と、思いつつもグダグダだらだらしていて、読みかけの本とか放ったらかしています。
先日食べ物をいろいろ買ったのですが、すぐにお腹いっぱいになってしまって食べきれず。計画性のなさというのがよくわかります。


好物は何ですかと聞かれたので、チョコレートとチーズケーキと答えておいたのですが、家に大量にチョコレートが余っています。輸入チョコレートを見かけて、今だと思い、たくさん買ってしまったのです。


甘いもの好きは高校時代に加速されました。高校生の頃から学校が終わるまでずっとデパートの地下で和菓子と洋菓子を売っていました。姉も妹も母も同じフロアで別のお菓子屋さんで働いていました。
デパートは結構頂き物があるのです。試食や試供品、事故で壊れてしまったものなど。隣がケーキ屋さんで、事故でケーキが壊れてしまったものをいただいたりもしていました。


母と姉がチョコレート会社の販売店でバイトしていて、まるでサンタクロースの担いでいる袋のような白い大きな袋にプラリネチョコレートをどっさり持って帰ってくるのです。モノを余らせてはいけないと思い、私は頑張って食べました。


私の勤めているお店では和菓子もやっていたので、柏餅のシーズンには大量に柏餅を仕入れて、店長が仕入れ数を見誤った時は、店内で価格を下げて(お客様には出さないで、お店の関係者に)売っていましたが、それでも余るときは私が買い取りしていました。30個くらい買ってましたね。捨てたらもったいないです。当時はその辺自由でした。今は絶対あまりものは店内でもらってはいけないし、安く買っても行けないし、全部古くなっても送り返さないといけません。それがお菓子屋さんのルールです。


それで、冷蔵庫も冷凍庫も柏餅でいっぱいになることがあって、一日に10個くらいは普通に食べていましたね。その上チョコレートとかケーキとか…今思うと、それ食べたら死ぬっていうレベルで食べていました。高校生だったから、全然大丈夫で。太らなかったし、働いて体力使っていたので消化で着ていたかもですね。


当時からお金稼いで遊び歩いていましたが、お菓子屋さんの店長に気に入られて、学校を出るまでずっと働いていました。店長さんの異動に伴い私もほかの店舗に移ったりして、ずっと長く付き合いを続けていました。


そうだ、一番最初に働いたところはたい焼き屋さんで、そこも10個とか20個とか持ち帰ってましたね。それを近所に配っても余るので自分で食べてました。その頃からか…。


私の高校時代は砂糖で成り立っていたようなものです。今はとても柏餅10個は食べられません。2つでいっぱいいっぱいです。その上チョコレートとケーキは、まず今は血糖値が上がるし、コレステロールも振り切ってしまう。危ない危ない。


デパートでの経験はとても大事です。高校生の頃から礼儀を徹底的に仕込まれて、両親が仕事で忙しかった家では教わることのできないことを店長から教えられて、きっちりしつけられました。泣かされたこともありました。働いてお金をいただくことのありがたさをよく理解し、信頼関係も築けました。
今どうしているかな~パリに行く前にご挨拶に伺ったけれど、今70台半ばくらいでしょうか。久しぶりに電話してみようかしら。