ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

見て本を読む

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


最近AmazonさんがうるさいくらいにAudibleの本を聴いて~って来るのですが、それには言いたいことがあります。


本は人に読んでもらうのではなく、自分で読みたいのです。どうでしょう。


音だけで作品を理解できるかということに関しては、いささか疑問に思うのです。音楽が聴いただけでは足りない(楽譜が重要!)というのと一緒です。


文学作品は、文字を視覚的に確認することが重要かと思います。ある音で聞こえてくる情報が、どの漢字で書かれているか、ひらがなか、カタカナか、ルビが振られているか、それは非常に重要な問題なのです。下手をしたら著者の主張がそこにそのまま表れているのです。


句読点がどこにあるか、どういう間の取り方で書かれているか、一番気になるのは、段落とか、文章のまとまり、行の変更がどこでなされているか、ということです。文字のまとまりで本を読む、こんな塊があって、その中ではこんなことを言っている、という風に出来事を重ねて頭の中で想像しています。読書方法のガイドとしても、最初に段落ごとに意味をつかむということは学校で習うと思いますし、効率的に読めると思います。改行をちらっと見てどのくらいとわかれば理解の助けになるのです。改行が全然ない文章は読みにくいです。


文章は呼吸法に似ています。ばーっと話して、呼吸する、みたいな間合いが必要です。全然改行がない文章はそれはそれで読ませる努力があるのでしょうけれど、改行がしっかりしている場合は、そこに意味があるのです。それに読みながら次の「息継ぎ」がどこに来るのか、あらかじめわかるので、そこまで一気に息をしないで(これは例えですが)読み続けたりします。この先ここで区切れる、ということが分かっていれば、そこで中断してほかのことをしていても、元に戻れます。


日本人歴が長い人はちゃんととらえていると思うけれど、漢字の何となくの陰影というか、ぼんやりそこにある文字をつかめる感覚はとても重要で、日本人の賢さの根源には、ぼんやりと漢字を認識する「画像処理能力」があるからだと私は常々思っております。ローマ字文化の国なら、単語のぼんやりとした影というか、印象で、意味を理解するのと一緒です。漢字のほうが複雑で構造的で、造形が意味と結びつきやすいので、印象付けはものすごくしやすいと思います。


テキストを読むことで、音も自動的に再生されるのが、読み書きができる人間の能力です。逆に、聴いた音からどんなふうに書かれていたかを想像することは、難しいと思います。それが出来たら天才的なことだと思いますが(そういう専門の訓練を受けているならば、可能と思います)、現状書かれているものの方が情報量が多いので、不可能と思います。それもそうですよね、読書の場合は視覚情報と一緒に音声が頭の中で再現されるので、広義でいえば視覚・聴覚の2つの情報を得ているのです。


もちろん音も大事ですよ。短歌や俳句、詩は音を大事にします。短歌や俳句は基本4拍子で、これは日本の民族が持っているリズム感覚に一致します(欧州、韓国は民族的に3拍子らしいです)。その中で、発音した時にきれいに聞こえるものになっているかというのは、それを鑑賞する人の楽しみになります。でも、それも、紙に書かれたものを自分で読んでみたほうがずっといいと思います。


というわけで、読む→視覚・聴覚情報、聴く→聴覚情報、ととらえられるので、読書の効率や内容の理解に関しては、聴くだけで理解するのは違うなと思っているのです。


素敵な文学作品が素敵な声で朗読されていたら、それはそれで面白いと思います。Audibleに意味がないとは思っていませんし、ぜひ音声はやってほしいと思いますが、私の場合利用の仕方としては、あらかじめ文字でその作品を読んでおいて、後で音で聞くという方がいいと思います。


興味はありますが、うーん。その時間がもったいないですね。自分でテクストを読めば自分のペースで読めますから。

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