ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

奈良の夜は寒いぜ+法隆寺+富士山を見ながら東京へ

ふう。


埼玉の自宅に到着して、パンプキンサラダを食べてまったりしているところです。東京の夜は寒いですね。昨日の奈良の夜の方が暖かかったです。


奈良の夜が寒いのは、商店街やアーケードにある飲食店が昼はやっていたのに、昨日ですよ、もうまん延防止なんたらがなくなった昨日ですよ、軒並み6時には看板です~。どこにも食べに行く場所がなくなりました。アーケードが閑散としていて寒かったです。おとといのようにサイゼリヤはやっぱり味気ないので、昼の間にアーケードをチェックしておいて、ビーフシチューとかいいねえと母と相談して、もっと早く出ようと6時には宿を出て店探しをしたのですが、うーん。みんな閉店している。なんてこった。
かろうじてやっているお好み焼き屋さんに入りました。ここはあったかな人柄の店員さんが多く、大阪風のお好み焼きを2枚、おいしくいただきました。本来はこういう場所はチューハイとかビールとかがあるといいですね、母と寂しくお好み焼きだけをつつくというのは違うような気がします。私は疲れていたのでビール飲んだらその場で寝そうだったから、お好み焼きだけで引き上げました。


近々奈良観光をする方は、夜お店がやっているかどうかということもよくよく確認していきましょう。


さて、今朝は7時半にホテルの朝ごはんの予約を入れたのですが。
昨晩、私と母で、それぞれのスマホに、「7時半に朝食だから7時半にアラームセットしておきましょう」というので、二人でポチポチとやっていました。母は自分のスマホでアラームをセットしたことがなかったので、あれこれやりながらですが、何とか出来ました。私はアシスタントに声を吹き込むだけでアラームをセットできます。


はい、ここでおかしいと思った方は正解です。
7時半に朝ごはんの予約をしていて、7時半に起きるのは、おかしいです。
私はあまりよく眠れなくて、うとうとしていて、朝の5時くらいには起きていたのですが、そういえば昨日アラームセットしたの7時半だったなあと思いだし。おかしいことに気が付き。まあ、早い時間に母を起こしては申し訳ないので、7時になった時に母に「7時半にご飯で、7時半に目覚ましはおかしくない?」といって起こしました。母は飛び起きました。


いやー。危なかった。
というのは、近鉄奈良駅から、法隆寺前の直行バスが、8時47分に出るので、8時半にはチェックアウトに行きたいと思っていたのです。それを逃すと2時間後のバスになってしまう。母は乗換が面倒だというので、なるべくバスで行こうと思っていました。


まあ、私がうっすら気が付いて事なきを得たのですが。
バスで一本で法隆寺前です。1時間くらいかかったかな?ひなびた田舎町を通り抜け、薬師寺などの前も通り抜け、目指すは法隆寺前。


荷物を預けるところは、JRの法隆寺駅にはないかもしれないと言われていたので、前日に観光案内の人が調べてくれていました。法隆寺前のバス停のところにインフォメーションセンターがあり、そこで荷物を一時預かってくれるという事。ラッキー。前日に電話しておいたので、快く荷物を預けられました。ハンドバック一つで、母と一緒に法隆寺~えええええだれもいないんだけどなぜ??


やっているのか?などと疑問を持ちつつも、見えてきました五重塔。

インフォメーションセンターが開いていたんだから法隆寺やってるでしょう。でもこの人気のなさは何ということでしょう。前に誰も歩いていないんです。確かに、修学旅行シーズンではないですが、卒業シーズンではないでしょうか?なに、アクセス悪いから来ないだけ?うーん。


考えつつも、到着してみると、ぽつぽつ人はいました。丁寧な関西弁で、いろいろ案内してくれたりしました。

どこか、中華風というか、異国風な、日本じゃない感のある五重塔。手すりのところの模様とかは日本っぽくないですよね、雷紋や龍紋のはやっていた古代中国を思い起こさせます。五重塔の中心にはずんと大きな岩が据えられており、うーん、どうなっているんだろう。詳しいことはよくわかりません。


金堂なども見ました。阿弥陀如来像、薬師如来像などありましたが、皆さんどことなく、顔が長い感じでした。今まで見てきた仏像とまなざしが異なります。顔も、奈良時代や飛鳥時代の日本人を参考にしたのではなく、大陸の仏像を参考にしたのかなと、思ったりしました。壁画が華麗で素晴らしかったので、これは本当に聖徳太子の時代からのものなのかというのを係の人に聞いたら、その人はわからなかったそうで。あとで宝物殿にいって分かったのですが、金堂も焼失しており、壁画は模写をもとに近代になってから再現されたものだそうです。飛鳥時代の壁画の断片が宝物殿に飾ってあり、色がかすれてほとんど見えなくなっていましたが、こちらの方が筆致が素朴で、素朴ながらの訴えかけというのがあって素晴らしいなと思いました。


宝物殿も行ってきました。ここは大変興味深かった。いろんなお面があったり、建築物の細工の細かい工芸品のような芸術品のようなものもあり、そして見たかった玉虫厨子もありました。あれ、これ、昔より黒くなってないか??しかし、さすが大伽藍ですよね、飛鳥時代や奈良時代に書かれたものや作られたものが、良い保存状態で残されているというのは、お寺じゃないとできないことですよね。何度か火災に遭っているようですが、たまたま難を逃れたものがのこされて展示されていました。聖徳太子の歴史みたいなものも知ることができました。聖徳太子伝説は鎌倉時代にはもうできていたみたいですね。


百済観音像は、10頭身くらいの細長い妖精のような観音様でしたね。顔は大陸の人の顔をしています。難を逃れて今の世によくぞ伝わってくださった。大変ありがたいです。


ちょっと足を延ばして夢殿へ。昨日母はたった3キロくらい歩いてへばっていたので、夢殿を回ると4キロくらいになるから、大丈夫かなと心配でしたが、人もいないし、平らだし、母は元気でした。なので夢殿も回って。

おー。歴史の資料集に出てくるのそのまんまや~。
八角形の建物で、聖徳太子よりあとの時代に作られたものです。でも天平年間に元はできたものだそうです。今の建築は焼失して建て直されたもののようでとてもきれいでした。秘仏があるのですが今は見ることができない期間でした。


桜が咲いていたらとてもきれいだったろうにと思います。私が慌てて旅を3月に設定してしまったから、桜の中に漂う夢殿は見られませんでしたが、あと2週間後くらいには、見ごろなんじゃないかと。周囲に桜の木があって、つぼみがパンパンに膨らんでいました。もう今咲きたい!!って感じでした。


ところで聖徳太子は観音様の化身なんだそうですね。いわゆる「聖徳太子伝説」では2歳で仏舎利を得たらしく、この辺、キリスト伝に通じるものがあるのですが(福音書の中には、物語的に脚色された面白いものがあって、その中で4歳か3歳のイエスが会堂で哲学者と議論したというシーンがあります。嘘か本当かは別として、そういう福音書が今でも正しい新約聖書の内容として伝わっているのは面白いです。ちなみに4つ福音書がありますが、どれもイエスの歴史です。どれをどのように受け取るかは、読む人のイマジネーションやインスピレーションで判断していただいていいと思います、私は全部好きです)、飛鳥時代のころの中国にはとうにキリスト教が伝わっていたかもしれませんね。


私が大昔空海を研究していたことがあって、今はちょっと生理的に受け付けない事件があってから遠ざかっているのですが、空海の教えの中にキリスト教の影響を見て取っているのです。空海は大秦院を見ているはず。そしてその教えも知っているはず。仏教は苦しい宗教なのに、密教は読み解き方によっては愛の宗教のように読めるのです。私はきっと平安密教にはキリスト教の影響があるとみていて…云々、この話をすると多分1か月くらいかかるんですが、ひょっとしたら奈良時代くらいにもキリスト教的思想の流入はあったのかもしれませんね。奈良時代のとある観音像がマリア様そっくりだったりとかもありますから。


その後、中宮寺に行ってまいりました。夢殿からすぐです。あまり歩くと疲れるかと思って帰ろうとしていたのですが、何かに惹かれるように母が入って行ってしまいました。これは大正解だったのです。ここは法隆寺と対をなすように建てられた尼寺だったようです。本当は500メートルほど東にあったらしいのですが、平安時代にはすたれてしまい、鎌倉時代に再興されたそうです。以来、内親王様方がお寺の主を務めあげた、とても由緒ある尼寺です。


どことなく、女性的なつくりのお寺で、母はここが一番心が落ち着くといっていました。入り口付近に藤棚があり、多分5月頃に来たらすごいきれいなんだろうなと思います。つくりは小さいのですが、整然としてあらゆるものが整っており、やさしい感じのするお寺でした。本尊は国宝菩薩半跏像で、これは広隆寺の半跏思惟像によく似ています。元は金細工で飾られていて、色彩も施されていたのですが、どんどんなくなって今はただの真っ黒な菩薩様の考えている姿です。これは見に行く方は左側からと右側からのお顔が違うことを確認してほしいですね。一方は世を憂う男性的な像に見えますが、一方は心を動かされている女性のように見えます。

このお堂に菩薩半跏像があります。人がおらず大変心行くまで堪能できました。


香淳皇后の歌碑もあり、歌人の母はいろいろな歌碑や句碑をめぐって大喜びです。
あの、「柿食えば…」の正岡子規の句碑もありました。今は池がありますが、その句碑のあるあたりは昔茶屋があったのだそうです。


柿はこのあたりで有名なんでしょうか。
一通り見終わった後に、レストランに行って、こんなものを食べました。

柿うどんです。
ええええええ??柿味?と思っていましたが、普通のうどんでした。柿の葉寿司も考えたのですが、汁ものが欲しいと母が言うので(どうも母はずっと便秘気味で、腸閉塞を再発するのじゃないかと気が気ではないのですが)、これになりました。


インフォメーションセンターに戻って荷物を受け取ったら、すぐにバスが来ました。本当は1時間に3本くらいしかないのに、すぐ来るとは運がいいです。
小さなバスですが、すぐに法隆寺駅に着きました。法隆寺駅から歩いても法隆寺には行ける距離でしたね。そして駅前。何もなし。本当に、法隆寺の前の参道の土産物屋さんのレストランで食事をしておいてよかったと思いました。
それで、大阪に出ようか、京都に出ようかと考えていたんですが、すぐインフォメーションに聞いたら、2分後に大和路快速が来るからそれで奈良に行って、すぐに都路快速が来るからそれで京都にでたらいいといわれ、慌ててホームへ。電車がちょうど滑り込み、ちょうど大和路快速に乗って奈良へ、すぐに乗換で都路快速で京都へ。各駅だったら1時間以上かかるかもしれないところを、ゆったり座って、本当に運のいいことに、すんなりと、2時過ぎくらいには京都駅に着きました。


駅でお土産を買う都合と、母の割引がひかりでしか使えない都合があって15時8分の新幹線まで待ちました。あっという間です。私は研究室用にいつもの八つ橋を買いましたが、奈良に行く方はぜひ奈良でお土産を買ったほうがいいです。京都駅には奈良のお土産物はありません。奈良のお土産物は、コンビニでも売っています。とてもかわいい鹿のアクセサリーや正倉院模様のハンカチなどは近鉄やJR奈良駅付近で、法隆寺関係のものは法隆寺参道の土産物屋さんで、面白いものがいっぱいあるのでぜひ買ってください。私は買わなかったのを後悔しています。鹿のかわいいぬいぐるみ欲しかったなあ…。


前の研究室の秘書さんにお土産も買って、母はパソコン教室の人にと阿闍梨もちをかって、上賀茂神社の入り口のところにあるお店の焼き餅を私たちが電車で食べる用に買って、東京方面へ。


母は、富士山が見たいと言っていました。行きは見られなかったんです。話していたら見るのを忘れてしまいまして。母は今まで新幹線から富士山を見たことがなくて、見たいといっていました。静岡を過ぎたあたりで母を起こして、トンネル2つ抜けたら見えるからと準備しました。頂上は雲があって見られなかったけれど、ドカンと大きい富士山を見られて母大満足。良かった。


母の胃腸の調子が悪いというので、母と分かれてから私は気になってしまい、ラインで大丈夫か確認を取りました。腸閉塞の持病があるので、便秘気味だとあかんのとちゃうのかなと思って。腸閉塞って死に至る病気なので、もし発作になったら、私が無理して旅行に連れて行ったせいだし、なにかあったら、と怖くなって電車の中でボロボロ泣きながら母にラインを送りました。母は新横浜で降りてもう家に到着していたとのこと。今のところ大丈夫だという返事をいただきました。


今日は何もかもうまくいきすぎていて、何か一日の終わりに悪いことが起こりそうで怖くて、またこれから母に連絡してみます。腸閉塞の兆候が見られたらすぐに救急車を呼んでほしい、一人だし、心配です。母は妹と住んでいるのですが、妹が帰りが遅いので夜遅くまで一人です。


どうか、母の胃腸の様子が良くなりますように。
母はカトリックだから、仏像を見ても、観音様を見ても、祈ることはしませんでしたが、薬師如来もたくさん見たので、どうかそういう仏様の姿を借りた神様が、母を守ってくれますように。


ということで、寒い~疲れた~明日5時半起きです。明日出勤して、31日に出勤したら、今の職場とはさようならなのです。もうすでに上司と室長とのお別れは住んでいて、明日は前の研究室の秘書さんとランチします。


今日は風呂入って足を良く温めて、早く寝よう。
母の胃腸が良くなりますように。

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