ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

少しずつリハビリ

退院してきてから、徐々に行動範囲を広げていっています。退院の翌日は、一寸わきの下に痺れがあったので、遠出は出来ないなと、とりあえず近所のコンビニ(徒歩1分)で朝、昼、晩、と買い込み、今日は一寸離れた駅まで(徒歩3分)行ってきました。


駅の高架下にNONOWAというショッピングモールができたばかりで、そこを覗いてきた。外国のお菓子や、いろんなお惣菜、お高めだけどスーパーも入っている。一番驚いたのは、ブリオッシュ・ドレがあったこと!かつてパリに住んでいたとき、おなかが空いたらブリオッシュドレで鶏肉のバゲットのサンドイッチとカフェクレームを頼んでいた。それが出来たんだ!!!ひゃっほー!パリの懐かしい味がいつでもすぐそこで楽しめる!


日本で売られているクロワッサンやパンオショコラは小麦や生地からしてちがう。あのPaulですら、本番フランスの味とうたっているけれどそもそも生地がパリで食べるPaulとは大違い。あんなむにゅっとしたかんじの生地はフランス人は食べてません。もっとバターたっぷり、油たっぷりの、それでいてからっとした気候でなければ食べられない乾燥ぎみの生地がパリの味。まだここのブリオッシュドレでは食べていませんが、願わくばパリの味でありますように。お値段はお高め。まあでもパリで食べていたときと実はあまり変わらないかもしれない。


明日はもうちょっと行動範囲を広げて、っていってもお財布にお金がないので遠出できませんが、ブリオッシュドレで昼ごはんを食べて、その後本屋をうろつくことまでを目標にしよう。その翌日は、別宅にいけるようにしよう。


と、徐々に元気になりつつあります。
ちょっと気がかりなのは、乳がんの手術のとき、麻酔からさめて後頭部の左側が傷んだのですが、夜眠くなると必ずそこが痛むんです。まあそのうちよくなっていくでしょう。まだ体からいろんなものが抜け切っていなくて、だって手術して5日しかたっていないんですもの、しょうがないですね。


午後は右手のリハビリします。ピアノ弾けるかな…。


こちら押していただくとランクが上がるらしいです。よろしくお願いします。

乳がん手術のための入院3

3日目。あまり眠れなかった。
やっとご飯が食べられる!と思って朝食を心待ちにしていたら、朝食に牛乳が出てきた。!!!私牛乳だいきらいなの!!!ヨーグルトだったらウエルカムなんだけど!
今日は一日静かにする日。手術翌日だから様子を見るためか、まあ、やることは何もなく、定時の検温と血圧測定、血液検査、それだけでした。最高に退屈な一日。部屋も4人部屋がいっぱいになり、その日手術の人が2人いて、あわただしくしていたようだけれど、私のほうは暇すぎて、ともかくやることがなかった。でも頭痛と熱のため、そんなに出歩いたりせず、1階のローソンにいってぶらぶらして、食べたいと思っていた栗饅頭とヨーグルトを買って、病院を一回りあるいてからまた病室に戻ってぼけっとしてました。
早朝に回診があって、明日退院できますといわれただけで回診は15秒で終了。時々主治医ではないほかの医師が様子を実に来てくれて、その方のほうがよく話を聴いてくれて、熱が出るのはしょうがないから安静にしていてくださいねといってくれたり、お風呂に入るときの注意点などを教えてくれたりしました。
基本的に医師と話せる時間はほとんどなく、質問や疑問があったら、乳腺専門の看護師さんがいたのでその方に聞いてくれとのこと。今後の生活の注意点など(腕を動かす練習とか、お風呂の入り方とか、腫れて来たときどうするかなど)はその方に教えていただきました。
昔入院したときよりはだいぶいい患者で、看護師さんに注意されることもなく、時々ぶらぶらして時々テレビを見てゆったり過ごしていました。


4日目。まだ熱っぽいですが退院です。また眠れていないです。
朝食をいただいたらすぐに荷物をつめ始め、そのうち支払い請求書が来ました。9万円以下。さすが限度額認定証。支払いにいってから部屋の中の確認をして、入院生活終了。
家に帰ってきてからもちょっと熱っぽかったのですが、ヨーグルトとプリンを食べてちょっと寝たら熱も下がり元気になりました。
手術の後遺症で、切った側(右)のわきの下が痛むと言うかしびれるため、ごろごろしていても右に寝返りを打つことが出来ないのですが、今まで長く右を下にして寝ていたのでどうしても自然右を下にしようとしてしまう。激痛が走るので注意しながらごろごろしています。
取り合えず今日はコンビニ弁当で済ませることにして、洗濯とかはあとにして、一日ゆっくりして明日から今後のことを考えます。


案外あっさり手術して退院できた感じです。傷の痛みも少ないですし。切った胸はまだ怖くて見ていませんが、時期が来れば見られるようになると思います。GWの間はなるべく良い栄養状態を心がけ、ちゃんと毎日食事を作ろうと思います。


よし、元気!

乳がん手術のための入院2

入院2日目。ほとんど寝ておらず、なんとなく起こされて検温と血圧計測。朝ごはんはなし。昨日の夜が最後だったのでしっかり食べておくべきだったと少し後悔。
母親も到着していよいよ手術です。新しい下着に着替えて、前開きのパジャマで、何ももたずに歩いて手術室へ。途中で母は待合室へ。
待合室では、テレビ画面で、何歳の性別が何の人の手術の状況というのがリストで流れていたらしいです。例えば、「外科44歳女性、術後処理中」みたいなふうに。いくつかの家族がそこで待っているらしく、年齢と何科かで自分の親族の手術状況を見ることが出来るらしい。待っている間にと私は母に乳がんの本を渡して、ちょっと勉強してくれといっていたのですが、手術は1時間半で終ってしまったので、あまり勉強できなかったらしいです。


さて私のほうは。超巨大な手術室エリアがあるのですが、そこにいくつもの個室があって、その中のひとつの、それほど広くない個室での手術でした。到着するとすぐに手術台に乗ってくださいといわれ、もうさっさと、上着を脱がされ、いろいろくっつけられ、右手から点滴する場所を一所懸命探され(普通右腕から点滴するのですが、血管が細かったので右手甲からの点滴になりました)、はじめますよもますいしますよもなしで、いきなり何か痛い液体が血管を流れてきて、それからガスマスクみたいなのを顔の前に持ってこられて、それから意識がぷっつり。
意識がなくなってから、超音波をしたりして、どうやって切り取るかとかを決めたらしいのですが、私はそこでどうやって切って欲しいと本当はいいたかったんですがそんなことも言うことはできず、ただ手術前に「絶対に全摘出はいやなので」とだけいってあって、あとは無抵抗でまるでもののように扱われて手術が終ったらしい。
目が覚めたときは何人もの人が私の顔を覗き込んでいるようだったけれど、私は丁度いい感じの夢を見ていて、それを乱された怒りで、大声で「すいません、私寝不足なので寝かせてください」って大声で言いました。まだ麻酔から半分さめてないときだったのでしょうね、普通の睡眠からの目覚めだと体も意識も睡眠しているけれど、麻酔の場合は体は起きてるので、結構大きな声で言えるものなのですね。
そこから別室に運ばれ。ICUじゃなくて、ナースセンターの横の部屋。その頃意識がだんだんはっきりしてきて、母親が呼ばれた。
最初は寝ている状態で母親と話をしたけれど…。執刀医からどんな話があったとか話したと思うんだけど、執刀医はうまく行きましたくらいしか言ってくれなかったらしい。リンパ節への転移がなかったので、リンパ節郭清はなかったそうです。私は30分くらいでもうげんきになり、ベッドの背もたれをあげてもらってしばらく母と話をしていたら、なんかもうこれ、動けるんじゃない?っていうくらい元気になり、尿の管を抜いてもらって自分で歩いてもともとの病室に歩いて戻りました。
手術の日は一日安静のはずなんですが、痛みもふらつきもなく結構普通に歩けたので、しばらく病室で母親と話をして、母は4時半ごろ帰宅。私は冷たいものが飲みたいと思い一人で歩いて水を汲みに行って(お茶やスポーツドリンクはあかんていわれた)、何度も給水所とベッドを往復し、退屈なのでテレビを見たりしておりました。
トイレに行くと、尿が青かった…。これはセンチネルリンパ生検のときに注射した液体の影響なんだろうと思います。
夜、「何でも鑑定団」を楽しく見ていたら、だんだん熱が出てきて、頭痛がひどくなってきて、手術の痛みよりも頭痛と熱のほうがひどくてへとへとになってしまいました。そりゃそうですよね、体のどこかを切ったってことは、防御反応として熱が出るのは当然かもしれませんよね。
そんな感じで手術は終わり、頭痛のひどいまま翌日をむかえます。