ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「折口信夫「まれびと」の発見」上野誠

先ほど素晴らしい本の感想を投稿してしまってこれを書くのは大変感動が薄れてしまい、急に現代に引き戻されたような気がします。


先に、この記事を見つけてしまった、この本に関連のある方に謝罪いたします。この後に良いことは書いていませんので、傷つきたくない人は回れ右しましょう。


最近書店で見かける「何かの入門書」「何かがわかる本」みたいな本、マジで中身ないですよね。概要も説明できていないし、体系だってないし、詳しく書けるほどの知識をもっている方が書いているとは思わないです。私はそういうわけで入門書となる本は、ある程度の高学歴で研究成果が出ている人のもの、つまり第一線で評価されている人のものしか買いません。


そのつもりだったんですよ。
ちょっと折口信夫のことを調べようと思って、家にある本は調べつくしてしまい(みんな古かった…)、最近の研究成果も参照できる本を買おうと思い立ったのです。名著de100分を読んでから決めたらよかったのにと残念でなりません。


超、中身ない。


本を手に取ってこれほど落胆したことはないくらいです。
帯には「折口信夫のすべてがわかる」とありましたが、ないない。
この著者はいじめられていたのでしょうか、そのほうふくをしたくて書いてるんでしょうか。わかりませんが、どこにも「まれびと」の発見はありませんでした。この著者が思う、折口信夫に関する感想をつらつらと書いているだけで、折口信夫に興味がある人には向いていない、この著者に関心がある人には向いているという感じです。


文章はいたって平易で、口述文書だそうです。
いいところが1か所くらいはあるだろうと、いろいろな角度から読み直しましたが、「あんたのことはええねん、折口信夫出せやコラ!」て感じでした。引用も何のために引用したのかわからないし、章立てに意味があるのかもわからなかったです。


ちょっとだけ弁護しておくと、折口信夫の文章って、論理的な文章に慣れた人が読むととても分かりにくいのです。だから、何かを見つけようと折口信夫の文章を読んでも、その何かが見つからないことが多々あります。


次からは楽しい読書をしようと思います。

「紺青のわかれ」塚本邦雄

あまりにすばらしすぎて、私の読書人生をこの年になってがらっと変えてしまい、今までの私の好き作家ランキング第一位に突然入り込んでしまったこの作品に対しては、感想なんてありません。唖然としてしまい、あほかというくらい読みました。


何をとっても素晴らしいのです。言葉選び、表現技巧、全体の構成、情緒、心の色の微細な部分、何で評価しても、この作品に匹敵する短編集はないです、短編の鬼(長編が読めないので、短編ばかり読んできた)である私が言うのだから間違いないです。


これは短編集で、短編は別々の時期に雑誌に掲載されたものですが、作順にタイトルの長さが一文字ずつ増えていくという、めちゃ凝ったことをしています。


それが、ひとつひとつがファンタジーのような力作の「これぞ日本文学」で、情景も人物もクリアに浮かび上がってきて、目が覚めるよう。流麗な文章とはまさにこのことを言うのだろうと思いました。


今までこんな素晴らしい文学があったのだろうか…。


時代は多分昭和初期だと思いますが、現代に読んでもなんの遜色もない。
あと作者の外国や絵画や音楽や演劇に関する知識が半端ないです。
私が作家になって何かを書いたら、このくらい海外の知識や絵や音楽の知識を入れたいと思うくらい、細部にこだわって、詳しいのです。音楽のオタクは色々いると思うけれど、絵画もこのくらいオタクで、外国語にも明るくて、って、なかなかいないのではないでしょうか。どういう経歴をたどったらこんな素晴らしい作品を書くことが出来るのだろうかと。


母に、この人知ってる?って見せたらとてもよくご存知で。
塚本邦雄さんは、短歌業界ではとても有名な方だそうで。
寺山修司と同じくらいの時代で、短歌の改革運動をしていた人?なんだかそんな感じです。最近の日本の短歌の流れはこの人から来ているんだそうです。その人が書いた散文はこれともう一つ、推理小説が残っているそうです。でもそれは読む気がしないんですよね。この短編集を超えるものがあったら、私の心臓が持ちません。


文章が、「新字旧仮名」で書かれているので、最初とっかかりは難しいかもしれません。元は旧字旧仮名遣いだったそうで、それがオリジナルなのだそうです。もう絶対読みたいです。発掘せねば。


今まで評価されていなかったのが不思議でなりません。言葉に凝っているだけの作家ならいっぱいいます(現代の人ではいないようです)。内容を凝ったものにして文章がダメな作家もたくさんいます。両方、ダイヤモンド級の人はこの人以外ないんじゃないでしょうか。


言葉がきれいなだけではなく、伏線がありまくりですべて綺麗に回収されていて、短歌の技巧を感じました。また、人間描写も素晴らしいし、内面にぐっさり刺さって日本の情緒を表現しています。設計図が明確で、計算し尽くされています。
言葉のこだわりはやっぱりすごいですね。韻文でそれだけの力量がある人が、散文をものしたらこんな風に奥行きが出てきて、時空が流れるんだなあと、ほとんど感涙の領域です。言葉の持つスピード感をうまく扱って、ここまでするかっていうくらい読者サービスが行き届いています。言葉のスピード感をじっくり味わえる作品は、芥川のはるか上をいっています。


一言で言うなら、ハイレゾリューション、でしょうか。


何でこの本を買ったかわかりません。いつも河出文庫の新刊をてきとーに買っていた、その中の一冊です。
河出文庫さんはずれなし!!いつもありがとう!!

なぜ楽譜もないのに歌えるのか

カラオケできる人ってすごいと思います。なんで楽譜がないのにきっちり歌えるんでしょう。ポップスなんてリズムが難しくてややこしいのに、楽譜読めない人が普通に歌ってます。楽譜がなくても聞けば覚えられますが、正しく再現できるかどうかはまた別です。


まあ、カラオケいかないんですけどね。っていうかもうパリに行く前から行ってないから、20年近く行ってません。


覚える分には無理なく覚えられるんですが、最初に楽譜を読むときが困難です。
初見が出来る人はすごいと思います。音を読んで、その音を楽器で出すって、神業だと思います。楽譜見ながら弾ける人はすごいです。読んで、音を再現して、そこに筋肉や関節を調節して手を持っていくわけですから、何段階もあるのですよ。どんな脳を持っているのだろう。


私はいつになっても初見ができるようになりません。ヴァイオリンや歌だったら単旋律だから出来るけれど、ピアノの初見が無理なので、覚えるまで時間がかかります。たいてい知っている曲だから今まで時間がかかっていなかっただけで、本当に全く新しい曲を、聞いたことがなくて、さらに譜面から起こすのは非常に難しいです。


一回からだが覚えてしまったら忘れないのですが、うーん。今だに、初見が出来るようになる特訓方法は思いついていません。特訓して出来るようになるのだったら、最初からやっています。


人生のほとんどを初見で悩み続ける…ピアノの先生は、慣れれば出来るようになると言っていますが、いまだに慣れません。覚えちゃうからダメなんでしょうね。


今日も初見でバッハのパルティータ練習してきます。やっぱりパルティータをやることにしました。次はBWV906をやればいいと思って。弾いてみたらなかなかに高度な曲だったので、今は時間的にも練習量的にも厳しいから、とりあえずパルティータ、長い曲ですが、譜読みの練習だと思ってやります。


バッハは不思議です、ネタ切れにならなかったのでしょうか。同じテーマでも新たなヴァリエーションを次々考え出したりして、いくら生産したんだろうと思います。管弦楽も、鍵盤曲も、大量にあります。どれも重なったりしていません。
でも実はバッハのいた時代は、出版権や著作権の概念がゆるく、他人の作った曲を勝手に編曲して自分で発表することもあったんだそうです。


でも同じくらいすごいのはチェルニーですね。よくもあんなに大量に、同じようで、全然違う練習曲を大量に生み出しました。日本では、100番、30番、40番、50番、60番練習曲などが出版されていますが、確か海外では、何とかのためのシステマティックな練習曲集、みたいに作品番号ごとにいろいろ名前がついていて、目的に応じて練習曲が設定されていたように思います。小学校1年生でスタートして毎週1曲仕上げて行っても6年生までかかる計算です。ちなみに50番60番練習曲は小学生ではまず弾けない高度な練習曲で、長いしかったるいし、ここまでいじめる必要があるのかと思うくらいめんどくさいです。
これらの曲はたいてい似ています。和音展開的には同じものが多々あります。でも違うんですよね…こういうのは覚えるときに障壁になります。弾いていると違う曲になっていたりします。モーツアルトでもそうなのですが、似た和音展開だと混乱して、気が付いたら違う曲を弾いていたことは多々あります。


このようなことは、バッハではまず起こりません。
不思議だ。バッハはすごいんだなあ…。