ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

飲み会でした

今日は一応私の歓迎会でした。まさか出戻りなのにやってもらえるとは思わず、ちょっと嬉しかったです。


ちょっと愚痴ってしまった。やる気のない上司の下にいることがどれだけ辛かったか、3時間説教されることがどれだけ辛かったか。


若い人もたくさんいて、研究者話に花が咲きました。若いのにしっかりしている人もいましたし、平成生まれの若手さんもいました。どんどん研究室も新しくなっているんだなあと思いました。


私が人生で一番しんどかった時は、ドクター論文書いているときだったという話になりました。どんなにメンタル強い人でも、この時期は、やつれてしまう。それほどしんどい大変な仕事なんですよね。ドクターを取っている皆さんは同意してくれましたが、これからドクター取る若い人もいて、ちょっと脅してきました。痩せるよ~って。


確かにあの時期は異常でしたね、しんどかったです。自分のやってきた3つの仕事をまとめるだけなんですが、研究のバックグラウンドを書くのに、本当にこの論は現在支持されているのかとか調べだすと限りがなく、当時はまだ論文がPDFでネットで見られる時代ではなかったので、本部の理学部の図書館に行って英語の論文を大量にコピーし、宇治バスの中で読んでしまってから、足りない論文を発見したらまた京阪に乗って出町柳まで行って論文コピーして、今度は宇治バスがなかったので京阪で帰ってくるとか、京阪宇治線と本線を往復していました。


京阪にはお世話になりました。私は研究所からちょっと離れた京阪沿線の駅に住んでいて、徹夜はしないようにしようとしていて、それは結果的によかったみたいです(ときには無理して自転車で研究所に行って朝4時くらいまで仕事してましたが、夜中に付きまとわれたのでやめました)。ちゃんと休養をとれていたと思います。あまりのプレッシャーに何をやっていたかわからなかったかもしれませんが、あの時期乗り切れたのは、何が何でも終電で家に帰って夜は寝ていたことが大きかったと思います。


頑張ったんだなあ…と思いました。私、すごく頑張っていました。
今の頑張れていない自分が、情けないです。


若いもんに負けてられるか。
がしがしがんばろう。D論書いたんだから。その経験は無駄じゃない。その時のエネルギーくらいは出せるはず。げっそりしても痩せるならそれでいい、明日から頑張ろう。


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