歴女ではありませんが
若い頃中国の歴史関係の本ばっかり読んでました。正直、登場人物なんてみんな同じような漢字の名前なので、さっぱり覚えていないんですが、いつどんなことがあったかということは漠然と覚えており、各時代の史書、諸子百家から、抱朴子・山海経、さらに中国の基本である春秋・易経なんかも読んで、大学の頃はいっぱしの読書人気取りでした。
史記で数行ほど、後漢書でも数ページでしか語られてはいないのですが、光武帝のファンになりまして、いつか光武帝について調査したいと思っていました。最近(といっても私が帰国してから)光武帝のフィクションが出て、読ませてもらって、なかなかな出来に驚いています。宮城谷昌光さんと、塚本青史さんが書いていらっしゃるけれど、私ははたしてどちらの作品を読んだのか、記憶にありませんので、もう一度読んでみることにします(埼玉の家の図書室を探せば出てくるのですが、なにせ蔵書数が多く、見つけられるかどうか…)。
彼は農民の出身。血筋では確かに漢王朝の血筋ではあるのですが、そんな出身だから平等主義だし実力主義だし、分け隔てなくどんな人とも協調してきたし、とても周囲を観察して人心をよくつかみました。推挙されて皇帝になってからも平等精神を持ち続け人間的にとても優れていたと思います。私は尊敬する人として常に光武帝を挙げてしまいます。どうして尊敬するのか、説明が難しいんですけれどね。農民から推挙されて皇帝になり国力を維持する実力を持ちつつも、人々に平等であったので民衆に慕われた、とでも答えればいいでしょうか。実際はそんな人じゃなかったかもしれませんが、あまりに古いことなので、人物像を知るにはやっぱり史記と後漢書しかないみたいです。
私にとって「平等」というのは一種の人格形成上のキーワードになっています。何せ年子の3姉妹の真ん中、絶対に、姉と妹と平等でなければ、許せなかったのです。
だから、分数で、たとえば10を3で割るなんてことはできなかったのです。中学生まで「3の倍数でないものを3で割る」ということが理解できず、親からもこの子は馬鹿なのではないかと思われていました(ちなみに私は理系です)。たとえば10センチのカステラがあったときに、それを3人で分けると、3.33センチずつに分けても誰か一人が絶対に3.34センチになると思っていたので、私にとっては許しがたいことでした。本気で怒ってました。母はそういうときにはちゃんとカステラを9センチにしてくれて、私の納得がいくようにしてくれたのです。
中国の歴史の関連で、陳舜臣さんをたくさん読んだんですけど、それも、だいぶ忘れてしまっています。これは実家の図書室に陳舜臣コーナーがあるのでいつでも読み直せます。歴史好きだけれど歴女って言うほどでもないんですよね、本当に限られた歴史だけで。司馬遼太郎もそれほど読んでないし。井上靖は読みましたね。中国の西域に思いをはせていました。
あと、古代遺跡大好きなので、特に秦漢時代の青銅器が好きで、パリのギメ美術館とかは狂喜乱舞でしたね。青銅器の雷紋に惹かれるのです。