ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「ロシアを動かした秘密結社ーフリーメーソンと革命家の系譜」

タイトル負けしてる本でしたね。


ロシアには、フリーメーソンの波が3回来ています。1700年代後半の帝政ロシア、ロシア革命期、それからペレストロイカ後です。


帝政ロシアにおいては、フリーメーソンはロシアのヨーロッパ化に貢献しました。そもそもがフリーメーソンは当時は結構な上流階級の人間の所属する組織になっていたので、西洋化を進めようとするロシア知識人=有産階級の人間が、秘密裏にフリーメーソンに入会したのです。そして、皇帝がまだ子供のころの家庭教師になったり、政治に参加したり、まあこんなにもいたものかというくらいフリーメーソンがいたのです。


帝政ロシアの専制主義のためにフリーメーソンが禁止されていきます。ヨーロッパ化に歯止めがかかり、リベラルとは程遠いロシア社会となり、リベラル派は亡命し、フリーメーソンはロシアからいなくなります。


ロシア革命は、農民の蜂起と見られがちですが、一方でこうした亡命ロシア人がフランスやスウェーデン、イギリスでフリーメーソンに加入し、その制度の下で広がった政治の自由化であったと、この本では書いています。皇帝制度を廃止するのではなく、ニコライ二世を廃位し新しい皇帝を立て、専制主義をやめさせるために奔走したのだそうです。その後レーニンの政治になった時にも、大臣にフリーメーソンのメンバーがいたりしたようです。
フリーメーソンの自由化よりも農民蜂起のパワーのほうが勝ってしまい、レーニンの時代が始まります。共産化に従いフリーメーソンは追放されていきます。ロシア革命というのは、フランス革命と同様、評価が分かれるのですが、現在の歴史から見て、大きな悲劇をもたらした悲惨な事件だったのではないかと私は思っていますが。
1930年代にはフリーメーソンも秘密結社も一掃されてしまいます。


そして現代になって、自由主義の風がロシアに入っていき、その流れでフリーメーソンも入り込んでいっている、というのが現状のようです。あるフランス人はゴルバチョフを「フリーメーソンの一員ではないのか」と疑っていたようです。ペレストロイカの路線がフリーメーソン的だったということからそういわれていましたが、ゴルバチョフはフリーメーソンではありませんでした。
1990年以後、亡命ロシア人が中心となり、再度ロシアにフリーメーソンが増えていって現在に至る、というような過程をたどっています。


ロシアは、秘密結社とか政治結社を作りやすい社会なのだと思います。こう、寒い中貴族のお屋敷におっさんたちが寄り集まって、ウォッカ片手に政治を語り合い、ウラーと騒ぐ、そんな小集団に、名前を付け、階級もつけ、いろんな思想を学んで新たな社会の夢を描く、そんなロシア知識人を思い浮かべます。


そもそもなんで私はこの本を読もうと思ったか。最近中世ヨーロッパにはまっていましたが、5月までにちょっとロシア関係の文学の論文を書こうと思っているのです。そこで出てくるのがロシアの秘密結社と、テロリズム。ロシアのそうした集団活動についての記録はないものかとアマゾンしていたらこの本に当たりました。結果として、私の求める記載はほんの2ページしかありませんでしたし、名前も知らない、何をやったかもピンとこないロシア人名の列挙には辟易してしまい、最後まで読むのをあきらめようと何度も思ったのですが、結果読んでみてよかったなと思っています。


ヨーロッパの組織であるフリーメーソンのロシアでの変容を見て、ロシア的であること、というのを少しは学べたような気がします。ロマノフ王朝というと日本では探偵漫画やアニメのネタとしてよく使われていますが、その実ロシア的なこととか、ロシアの多民族社会っていうのは、日本人が思うような西洋的な社会とは程遠い気がします。
ドストエフスキーの印象は変わりましたね、改めて読んでみたいです。ドストエフスキーよりヨーロッパ化していたトルストイは相変わらず読めませんが、ソルジェニーツィンとかは、なるほどロシア民族だなと思ったりします。


もちろんスクリャービンやラフマニノフの伝記は読みましたが、あの頃のロシアは西洋化の真っただ中で、彼らの学んだ音楽はヨーロッパのものだったので、あまりロシアロシアしてなかったんですよね。でも、今となっては、何となく、ロシアロシアしている面が思いだされます。


さていよいよ論文に向けて準備は整いました。
それより本職のサイエンス(社会科学)の論文頑張れよですよね~!


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