紀元前3000年とか、バナナ型神話とか
キリストが生まれてからまだ2023年くらいしかたってないんですよね。1000年って長いけれど、メソポタミアの歴史はもっと長かった…。
今、「古代オリエントの神々」という本を読んでいます。
経緯はこうです。
神秘主義とかユングとかその辺をうろうろ→中世ヨーロッパの魔女狩りが、中世の終わりに起こったことに対する疑問→魔女狩りはどこから来たか→キリスト教社会の背後にあった民間信仰→ケルト文化→ユングに戻ってきて神話に興味→ゲルマン神話→地母神に興味を持って(特にキリスト教から嫌われた女神=魔女がいる)古代オリエント→いまここ。
となっています。
ゲルマン神話が、バリバリにキリスト教の影響を受けた結構最近の話であったのに対して、古代オリエント社会は紀元前3000年代くらいの時代から独自の神話を作ってきた。
それを、現代の人が語れるのはすごくないですか?5000年前に書かれた絵や文字が読めて、物語がわかって、当時の神様のことがわかるってすごいですよね。そういうものが発掘され、残され、保存され、そして現代人が解明していく。すごいことですよね。
例えば1000年くらい前の最近の人たちはどうだったんだろう。自分たちの祖先のことを知りたいと思わなかったのかな?イスラム世界になる前のペルシャの人たちは、自分たちの祭ってきた神様の起源を知りたいと思わなかったのかな。熱心に信仰されていた神様もいるけれど、それはどこから来たのか、知りたいと思わなかったのかなあ…。
私は知りたいのです。なので、いろいろ調べていて、面白い言葉に当たりました。
「バナナ型神話」
Wikipediaに出ているので、よろしかったら調べてみてください。
神様が、石(硬くて食べられないけれど永遠の命を持つ)と、バナナ(食べられるけれど限りある命しか持たない)を人間に選ばせる、という神話が各地で見られて、多くの神話もこの体系に収まるという考え方です。
この考え方には、選ばせたのが「生物学的な人間」であったことがすっぽり抜けています。人間がみな基本的欲求を抑えられる超人だったら、この選択も賢く行われたでしょう。
でも面白いようにどの神話もこういう「選択」に迫られて、人間は、命の限りがある存在になる方を選んでしまいます。
だって生き物だもの、しょうがないじゃない。
今日は上司に、仕様書に書いたたった3文字のことでこっぴどく叱られました。くどくどくどくどくどくどくどくど…いつも的外れなたとえを交えて、私をねじ伏せようとします。病気になっちゃうよ…。
何か、逃げ場がないと、病気になりそうです。どこに逃げたらいいんでしょう。