ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

天才の末路

薬が切れてきて、冷えが収まらないので、練習できません。温まるまで先日の話を。


先日のピアノの先生からの電話でいろんな人のその後を知りました。
うちの先生のところには、音大受験の準備の生徒さんがたくさん来るんです。芸大や桐朋などにも生徒さんを入れている実績があって、先生自身がコンクールの審査員などをやっているので、才能のある生徒さんもたくさん来ていました。


芸大に入った生徒さんがその後どうなったか。ピアニストとしてやっていくことはできず、家庭に入り、家で細々とピアノを教えて暮らしているそうです。日本でピアニストになるには、国際コンクール入賞歴が必要となります。それがなかったので、今は平々凡々の日々らしいです。


このひとはまだましな方です。すごい才能があって桐朋に行った人は、やっぱり家庭に入り、ご主人の転勤で転々として、ピアノを教えることができないため、介護職についています。介護の現場では、歌を歌ったり、皆さんの合奏の伴奏をしたりすることが多いので、音楽出身の人が多いらしいです。


私よりちょっと上の人で、宝塚に入った人がいます。娘役でかなり人気のあった方だったのですが、結婚して宝塚を引退、その後歌を歌ったりナレーションをやったりしていたのですが、それでは生活できず、お米屋さんでアルバイトをして、今は介護職をやっているそうです。


普通の大学に進んだけれどすごく音楽の才能のあった子は、大学卒業後公務員に就職、公務員は比較的時間がきっちりしているので、ピアノを練習する時間があったそうで、武蔵野の別科に入学したそうです。でもその子は1年で1曲くらいしか仕上げることができないらしく、1年で終わってしまう別科に入ったからと言って音楽の道に行くわけではないそうです。安定した公務員のまま、趣味でピアノを続けていくそうです。


私の姉も、うちの先生の歴代の弟子の中ではぴか一だったらしいのですが、音大卒業後ジャズの道に進み、結婚してから教える仕事などもしていましたが、今は障がい者や認知症の人を対象にした音楽療法の仕事をやっています。演奏は、しなくなりました。私の伴奏者だったんですが、そちらの仕事で忙しいので伴奏してくれなくなりました。安定して稼ぐためにはちゃんとした企業に就職するのがいいだろうということで、子供3人もいるのに、就職してしまいました。


私と同い年ですごく才能があって留学までした人は、もう音楽をやめてしまったそうな。二度と音楽をやるエネルギーがわかないのだそうで、今は結婚して普通の主婦になっているそうです。


男の人で、歌科に進んだ人がいます。発表会とかでは素敵なテノールを聞かせてくれますが、安定した介護職について、時々舞台で歌ったりしているそうです。


ピアノの上手だった人で、教育学部の音楽科に進んだ人がいます。高校の音楽教師をやっていましたが、なかなか職がなく、今は家庭に入って医療事務関係の仕事をしているそうです。


音大に行っても、音楽家になった人は、ほとんどいないんですね。それも皆さん結構な音大に行っています。お金はすごくかかっていると思います。音楽は嫁入り道具としては重要だったかもしれませんが、その後音楽を生かすのも介護の現場だったり音楽療法だったり。演奏家になった人はいないんですね。


でもうらやましいです。家庭に入れたり、安定した職業に就けたりして。
私みたいに、この年になっても親に心配される不安定身分の人間はいないんですよね。皆さん着実に、将来困らない生活を選んでいる。


私には選択肢がなかったから、ここまで一本道できてしまったけれど、ふとした瞬間、私も普通に家庭に入ってパートとかしながら、子供と旦那の心配やらローンの心配やらするような人生を送ってみたかったと思ったりします。


人生には、重要な選択肢があるはずです。そういうものがあるのが豊かな生活だと思います。私には余裕がなく、選択する場面がありませんでした。貧困、無能、時代の変化、そして圧力、こんなものに全部屈してきて今の自分があります。
せめて就職できたら豊かな生活が送れるんですけどね。それはまだまだ先の話です。


さて、手が温まってきたので、練習してきます。

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