ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

おとうさん

父は心臓弓部動脈瘤をかかえていました。なんとその大きさは直径9センチ。私はCT画像を見たとき、それが心臓かと思ってしまったくらいです。私のこぶしくらいはあった。


動脈瘤の中に人工血管を通し、ステントを入れて拡張する大手術をすることになった。


あれは2008年の話。

いつ何時、思い出しても、泣いてしまう。

同時に、いつでも私もおとうさんのほうに行きたいと思ってしまう。


だからここに書いたのは戒め。

私は当時フランスで仕事をしていたため、手術のときに戻ってきて、

そして、その後、なくなるときも、たまたま今後のことを相談するつもりでフランスから帰ってきた、その3日後だった。

「あなたが帰ってくるの、待ってたんだよ」

それを言われると、号泣です。

とうに父には意識も精神も、父と言う人間性も魂さえもなくなってしまい、体を動かすことも出来なかった。ただの入れ物、植物人間になってしまっていたのに。わたしが帰ってくることなんかわかるか!でもそうだったら、それはもう父の意思とかではなく、感覚というかもっと低レベルの本能でわかっていたのかもしれないです。


私はひそかに父は幸せな死を迎えたと思っている。この世の最後に聞いた声は、たぶん麻酔のときの「はい、麻酔しますからね」というやさしい看護師の声だったと思う。この世で最後に思ったことは、もちろん手術の恐怖もあっただろうけれど「畑、何植えようか」だったと思う。そして、手術中に多発性脳梗塞になり、以後父と言う脳内構造は消えてしまい一度も動かなかった。


父は、出来の悪い私のことを褒めたことなんか一度もなかった。

いつも怒られてばかりの出来の悪いがきだった。

手術室に向かうときに、海外の学校で教えられるようになった私に向かって

「おまえはかしこいなー」

といっていた。これも号泣。



はー。ストレス解消した。父のことは涙無しに思い出せないんですが、研究に行き詰ったりしてストレス解消したくて泣きたいときはいつでも思い出します。

癌が怖くて自分が死ぬんじゃないかと思うこともあるけれど、そういう時も父のことを思い出します。そうするとぜんぜん怖くなくなるのね。現世では個人個人があってそれぞれ悩みや考えを持っているけれど、死んだら、魂になって、空に流れてる川みたいなところにみんな吸い込まれていって、ひとつの宇宙みたいになるんじゃないか、おとうさんはそこに混ざっちゃって消えてしまったけど、私もそこに行くだけじゃないか、なんて考えてしまう。

無、なんだよね。自然に還って無になって、またそこからなにかが生まれるんだろうね。


あ、これでも私はクリスチャンです。

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