ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

これは名著「魔女とキリスト教」

ううーーん。


先日読んだ魔女狩りの本、その前読んだ中世の本。それらの本がかすんで見えなくなるほどの名著に出会いました。執筆されたのは1993年ですから新しい本ではありませんが、キリスト教をはじめとして、欧州および中東に起こった宗教の本質的な太母神・豊饒神信仰、ひいてはユダヤ教の前にあったリリト信仰まで、全時代的に網羅しているこのような詳細な本は今までお目にかかったことはありません。

1月に入って読み始めて、付箋をしているところは、これは重要だと思ったところです。これだけあるのです。私の知らなかったこと、著者の強調したかったこと…。
この本は魔女狩りについて書かれた本ではありませんし、キリスト教について書かれた本でもありません。「魔女とキリスト教」というタイトルに偽りありです。いうなれば、「女性信仰とヨーロッパ」でしょう。


ヨーロッパは、キリスト教の世界だと、大体の人が思っていると思います。私は実際に住んでわかったのですが、決してキリスト教一枚岩ではないのです。民間信仰の中に、ケルトやゲルマンの慣わしが残っています。この本は、そのことにも触れていて、今までほかの魔女の本が触れてこなかったケルトやゲルマンの神々、ローマ・ギリシャの神々、古代ヘブライの神々、特に女性神・豊饒の神をキリスト教が敵視して魔女に仕立て上げた、という、簡単に言うとそういうことまで書かれているのです。
もちろん魔女の起源から書かれています。魔女とは、女性神信仰の一つの表れで、古代ローマギリシャ時代に端を発しているばかりではなく、古代イスラエル(ユダヤの)一神教の前の世界から綿々と受け継がれている太母の姿なのです。


迫害するに至ったのは、旧約聖書の一言「魔女は生かしておいてはならない」というところからきているそうです。それ以外にも、男女不平等、女性蔑視はユダヤの古い宗教からも来ている。著者はユダヤの一神教(現在のユダヤ教に連なるもの)で、アダムとイブの伝説から女性蔑視が始まっているとしています。それまでは、ユダヤの世界は多神教の世界で豊饒の女性神もいて、男女平等だったとのこと。とてつもなく古いことです。モーセが紀元前1300年だから今から3300年前、それより前のことです。その時代の歴史をどうやって掘り起こし、どこから見つけ出したのか。大変気になります。もちろん、旧約聖書と聖書外典は貴重な資料になるでしょうけれど、それだけではなく、ユダヤの民間信仰や説話にも、この著者はあたっているんだと思います。


魔女狩りが猖獗を極めるのは、中世の混乱期、気候変動や物価の変動、プロテスタント、科学の黎明、資本主義化などの時期と重なっています。今まで読んだ本では気候変動(小氷期)による不作が人々の不満を招いたとされていたのですが、この本はもっと複合的で複雑な事情があったことを語っています。
「西ヨーロッパは中世末期から近世にかけて、かつて経験したことのない心理的不安の時代を迎えていた。12世紀になり、教会の権威は、異端運動の勢力拡大によって、その根底を揺るがされた。彼らは原始キリスト教の規範と、聖職者、修道僧の実際の生活との矛盾をついたわけである。それに教皇のアヴィニヨン幽囚と教皇の正当性をめぐって、既存秩序は危機に瀕した。そのうえ自然災害と流行病(ペストの大流行)が加わった。十字軍の出征でトルコ人に対するキリスト教軍団の敗北、そして東ローマ帝国の滅亡は、キリスト教社会に対して大きな衝撃を与えた。疑惑と不安が広がり、来るべき世界没落、そして最後の審判がささやかれた」
これが魔女狩りの始まる前夜のヨーロッパです。キリスト教的な女性ではない、ケルトやゲルマンの風習に従う女性や異端者(カタリ派、ヴァルド派)は、スケープゴートにされたのです。
魔女狩りはヨーロッパ北方と南方では様相が違っていたようです。いわゆる私たちが想像する、えん罪に近い魔女狩りは北方で行われており、これは世俗裁判所の決定で火あぶりが決まっていました。南方は、どちらかというと異端審問の流れを汲んでいて、教会が魔女を取り扱っていました。イギリスでは魔女裁判はほとんど起こらなかった。それは、ローマ法(カノン)が取り入れられなかったから。取り入れたスコットランドでは魔女狩りが行われていました。


いろいろ詳しいこと書きたいですが、いきなり魔女狩りの終焉に行きます。
「あらゆる面で世俗化が進む中、ヨーロッパの国々では、魔女裁判は次第に行われなくなった。だがそれは、農村や小都市で魔女信仰が消滅したことを意味しない。それは、司法機構が魔女の告発を受けつけなくなった、つまり司法レベルで魔女裁判が打ち切られたということなのである」
司法の発達は、理性や理論ということに根付いています。迷信や讒言によって魔女認定されるようなことは、実は教会内部から改善されていったようです。それまでも、魔女狩り時代でも、教会の内部では魔女狩り反対を唱える聖職者もいました。論理的にそちらの人たちの言うことが是とされてきてから、魔女狩りは消えていきました。


この本では、フロイトとユングにも触れています。フロイトは言わずと知れたユダヤ人です。フロイトは口承伝説などをもとに、ヨーロッパのキリスト教は表面的なところのものであって、野蛮な多神教の信仰が底流に沈殿していたのを明らかにしました。そう、ユダヤのもともとの神様たちや、メソポタミアの神様への信仰が、続いていたわけです。
ユングは言っています「キリスト教文化は驚くほど広範囲にわたって空虚であることが判明した。キリスト教文化は表面に塗られたワニスに過ぎなかったのだ」。キリスト教は私は「フォーム」であって、「ソウル」ではないと思っていたけれど、このユングの言葉がそれを裏付けることになりそうです。


そして、「これまでヨーロッパは、ユダヤーキリスト教のヘブライ文明と、イタリア・ルネサンス文明に見る古代ギリシャ・ローマのヘレニズム文明の綜合とみられていた」が、そうではないのだということを、この本は、はっきりと示してくれました。


最後にリリト信仰について書かれていました。リリトは、アダムの最初の妻とされ、女性の独立の象徴でもあります。庇護されることを望まず魔女になったようなものです。でもこのリリトは旧約聖書に1行くらいしか出てきません。多くは伝承によっています。


リリト信仰が今でもあることで思い出したのが、アニメ「鬼灯の冷徹」です。あれはよくできたアニメで、今でもよく見ていますが、そこに「リリス」というキャラが出てきます。彼女はアダムの最初の妻とされ、夜、どちらが上になるかで争って離婚した、ということをそのアニメでは言っていたのですが、私はなんと漫画チックな比喩だなと思っていました。ところが、ユダヤの伝承では、本当に「体位」をめぐって女性が下になることを是としないリリトが出奔したことになっています。あのアニメというか、マンガを作った原作者、相当研究しているな…。まったりするので是非お勧めです。なるほどと思うこと多々あります。勉強にもなります。


もっといろいろ書きたいですが、お堅いBlogだと思われたらちょっと困るので、大事なところだけ。
あとがきに書かれています。「魔女狩りが起こる契機は、資本主義化が進行して共同体の安定が崩れだし、人間関係が軋み始めたことである。不安、憎悪、嫉妬などの感情を背景に共同体から異人が締め出される、いわば「いじめの構造」である。
あとがきでなんだか平たいことが書かれているぞ?と思いましたが、これが1993年に書かれたことで、今と社会はそんなに変わっていないと思います。私は資本主義を決して万能だとは思っておらず、かといってキリスト教的共同体がいいとも農村文化や村社会がいいとも思っていませんが、人間が理性で抑えてきた不安や憎悪、嫉妬は形を変えて今でもスケープゴートを生み出しているのではないかと思っています。


ともかく、ヨーロッパを知るには最良の本。
中世史で倉山満さん、魔女狩りで黒川正剛さんの本を読みましたが、彼らなんてこの著者の上山安敏さんに比べたら、かすんで見えなくなって消えてなくなる感じです。もう一度読みたいです。これほど歴史的に豊かな本は今まで見たことがなかったです。昨日は読み終わった感動でなかなか寝付けなかったくらいです。


今日は会議ばかりで疲れました。
今日からなんの本を読もうかなあ…もうこの本読んでしまったらヨーロッパの本はいいやって感じです。この本を超える本はそうそうないと思いますので。
東欧やロシア世界に目を向けてみようかな。

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