ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

努力はかっこわるいか。

高校生までの私は、努力ができませんでした。単純に、頑張って何かできるようになるとは全く思っていなかったので、ゆえに努力などしても無駄だと諦めていました。それは子供の頃の体験から出た結論でした。


3人姉妹の真ん中として育った私の姉と妹は、どちらもそれなりにかわいらしく、絵が上手で、親戚からよく褒められたものでした。真ん中の私は、上と下のどちらにも似ないで不細工な顔の作りで、親の言うことを聞かないで冒険に出たり、近所の悪ガキと戦争ごっこをしたり、親の言うことを聞かずに親に口答えしたりして、褒められたところのない、不良品のような子供でした。私はかわいらしくないから姉にも妹にもなれない、誰にも愛されない、もう世の中なんてかわいらしさがすべてなんだから。そう思ってふてくされて、何をやってもどうでもいいと考えていたのです。


中学生頃から外で遊びはじめ、高校生からインディーズのバンドにはまり、家に帰ってこなくなり、バンドのライブの追っかけで日本各地を飛び回り、ちょっとしたアルバイトをしてためたお金は皆バンド活動に消えていき、学校にも行かなくなり、広い世界を見たので、それなりに享楽的な生き方ならできそうな気がしてきたのです。


親友が高校を辞めてしまい、私もやめようと思っていたところで、おばあちゃんの遺言が「高校を卒業すること」だったので、おとなしく高校に戻ることにしました。そこからいろいろ事態が変わっていきます。


バンド活動などで大人と付き合いがあったため、高校生の同級生たちがひどく子供らしく見え、先生方が世間知らずに見えてきました。なんなんだこれは。こういう人たちに私が成れないわけがない。そんな風に思って、正直内心周囲を見下しながら、教科書を手に取ったのです。


私の高校は地域でも一番レベルの低い高校だったので、ちょっと勉強すればトップをはれました。私は理科系科目を多く選択していたのですが、物理などは平均点が30点台なのに比べて大抵私は90点以上得点して、学内で偏差値を計算すると80を超えるというミラクルを起こしていました。授業中は大体寝ていました。私の高校の教科書はレベルが一番低い教科書だったので、3日くらいでマスターできてしまったのです。2年生の時にはもう3年生でやる微分積分を理解していたので、数学・物理について困ることはありませんでした。


当時の私は、将来のことはあまり考えておらず、出来れば音楽の専門学校に通って音響オペレーターなどをやりたいと漠然と思っていたのですが、そうするには家は貧乏でした。専門学校に行くお金がありません。美人でいい子の妹のために進学の費用は残しておきたいということで、私は国立大学しか選べなかったのです。
幸い国立大学に入りました。私がレベルの低い高校からその国立大学にはいったことで、レベルの高い高校でその国立大学に落ちた女子から「なんであんたがうかって私がいけないのよ!」と泣かれたこともあります。


大学でも頑張りました。私の学科はできてまだ2年目だったので、講義の内容もカリキュラムも不安定で、自分でやりたい学問は自分で探すしかないと思い、国立のよしみで近くの国立大学の授業を受けに行ったり、同じ大学の工学部の授業を受けに行ったりしていました。私の学科以外の授業もたくさんとりました。おかげで卒業単位が人の倍くらいありました。


それだけではなく、私は今でこそそこそこのヴァイオリン弾きではあるのですが、ヴァイオリンを始めたのは大学1年生の時に大学のオーケストラに入ってから。2年生になって、新入生が入ってきたときには、誰一人として私が大学生からヴァイオリンを始めた人だとは思わなかったそうです。ヴァイオリンは好きでたくさん弾きました。3年生でオーケストラのパートトップ、4年生で選抜のオーケストラのオーディションに合格し、NHKの音楽祭には何度も出演しました。もちろんテレビ放送もされました。


大学卒業時までに、努力したことは、勉強、バイト、ピアノ、ヴァイオリン。バイトは学費を払うために必要だったのと、お金貰ってピアノやヴァイオリンを弾けるので楽しくて続けていました。


そのころから努力すれば何かができるようになるということを知って、さらなる努力を続けます。大学院、就職、さらにそこから大学院の博士課程。そしてポスドクとしての就職、こういう道を選んだのは本当のところヴァイオリンを弾きたかったからであって(研究室は午後から出て行っても構わないので、午前中練習をして、午後から夜中にかけて研究していました)、すべての努力はヴァイオリンに通じているのですが、その努力が届かなくなることがあることも知りました。


あれこれあって私は国外追放され、行き着くところが唯一フランスで、そこで音楽学校に入りました。そこから努力したのですが、さっぱりうまくいくようになりません。上級クラスには入れたのですが、出られないのです。多分、小さいころからヴァイオリンをやっている人ならできるような簡単なことが私にはできていなかったんだと、今はわかります。でも当時は方向性の定まらない努力をして、一日8時間以上ヴァイオリンの練習に費やしては疲れ切って、どうしてうまくいかないんだろうと悩んでいました。努力が通じなかったのです。


あるとき、ヴィオラの先生にスカウトされ、「君はヴィオラが向いている」というので、そちらでやってみることにしました。この時は正直努力はしませんでした。今までヴァイオリンで培った音感や音楽のセンスを総動員すればなんてことはなかったのです。軽々と上級クラスに入り、ディプロムを取りました。


でも、ヴァイオリンでは、ディプロムが取れなかったのです。一生で唯一かなえられなかった夢といいますか、クリアできなかった目標です。


人生の中盤からわき目もふらずに努力することに目覚めてしまいましたが、若いころは努力がかっこいいものとは思っていませんでした。今努力している自分を見ると、かっこわるいと思います。悪あがきとでも言いましょうか、欲しいものはなんでも手に入れるという姿勢であがいていますので、「そんなの無理やろ」ということまでやろうとします。だから努力の最中は、「努力しています」とはあまり言いたくありません。結果が出たときに、「努力しました」ということにしようと決めています。


代わりに「頑張ってます」とか「頑張ります」は自分のために言うようにしています。それは自分から自分に対して「頑張れよ」という意味があるのです。


さて、努力することは、かっこわるいんでしょうか。
努力しない人なんて私は世の中にいないと思うんです。それを努力と思わない(私も思っていませんでした。後から努力したと感じることはあっても)という人はいるかもしれませんが。結果的に、努力して開けた世界があるから、私はたとえそれがかっこわるくても、無様でも、やる意味があるんだろうと、思っています。


今頑張っていることは、ダイエット、研究、ヴァイオリン、ヴィオラ、読書、そして貯金です。がんになって、人生どこで終わってしまうかわからない、その時に後悔したって遅いんだって、わかりました。
だからかっこわるくたって頑張って努力していこうと思っています。


雑談失礼いたしました。
長文読んでいただいてありがとうございました。



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