ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「ロートレアモン全集」イジドール・デュカス

話に聞いていた本ではありました。ロートレアモンという作家がいるんだと思っていました。たまたまアマゾンでお勧めに出てきたので、ぽちりしてしまいまして、6月に入ってから読み始めました。その前はマーケティングの本を読んでいたんですが、そちらの本は、3分読んだら眠くなる本だったので、感想は「眠い」につきます。なのであえて書きませんが…。ビジネス書とか、ちゃんと読んだほうがいいんですかね。商売の出来る人になりたい。


さて。ロートレアモン伯爵=イジドール・デュカスとして知られているこの作家さん、伯爵でもなんでもなく、ロートレアモンを名乗っていただけの方で、24歳で亡くなっています。それなのにこの知識量、読書量はどうなのよってくらい、すごいんです。

全集が1冊になっているので、彼が残した作品はそんなに多くないです。マルドロールの歌(ロートレアモン伯爵名義)という、分類上はConte(小さな物語、コンテ、コント)とされていますが、詩、でしょうか、それと、ポエジー1と2だけです。1846年生まれ、パスカルやユゴーが好きだったみたいですね、ともかく読書量が普通じゃないです。ポエジーの引用(というか、ほぼコメディというか、偉い人の書いたことをそのままコピーしてきて逆にしてしまう)は、注釈を読むだけで時間がかかりました。この本に半月以上かかったのは注釈の面白さも手伝っています。なお、訳者によると、本来はこの4倍の注釈がつけられていたけれど、頑張って削ったのだそうです。


最初は「マルドロールの歌」全6歌。歌と書かれているから、詩なのかなと思ったら、びっしり文章が書かれているので、詩ではないような感じですが、評論でもないし、思うところをつらつら書いている感じです。マルドロールは人の名前。男性です。どんな人なのか、何者なのか、最初はわかりません。イメージとしては暗黒から生まれた騎士という感じですが、あらゆるところに、あらゆる物語に、顔を出します。6歌でそれぞれテーマが異なるのですが、闇から出てきたような、こいつがマルドロールだったのか!という感じの出方をします。犯罪者であり、道徳者であり、観察者であり、何者かなのです。よくよく読んでいくと、ひとつの歌が一つの物語になっているようで、中には悲惨なモチーフといいますか、こんな悲惨な物語を、この若者が書いていたのかと思うような、うっとくる話もありました(幼女を犯して殺して内臓を引きずり出して犬に食べさせるとか。でもこのモチーフはそれまでの時代のフランス文学ではよく出てくるものなんだそうです…ええええフランス怖い)。出だしがダンテっぽいし、動物はいろいろな意味を持って現れるし、聖書からのパロディというか引用?斜め横に捕らえた言葉も出てくるし、面白かったです。注釈がためになりました。例えば、この時代(1800年代後半)にはすでにガス灯がパリでは普及していて、明るい夜だったとか、アルミニウムは1800年代の前半ドイツ人に発見され、フランス人がはじめてアルミニウムの工業製品をパリ万博で披露したとか(アルミはすごい高い温度でないと溶けないので加工しにくい)、パリに鉄道が来たのは1837年だけれど著者がいたころはサンラザール駅があったとか、暗黒小説のいろいろなモチーフがあるとか(暗黒小説ってなんだ!!)、ともかく雑学の宝庫なのです。


ボードレールとか、ゲーテとか、ホメロスとか、ギリシャ古代文学から、当時のフランス文学までいろいろな文学を網羅していて、それらを思い起こさせる表現が随所に見られ、私はそういうのを知らないので、ああ知ってたらおもしろかっただろうなあと思ったのです。


第1歌はよくわからない感じだけれど、だんだん順を追っていくと、物語になっていて、マルドロールがいろいろなところに現れて、読み物として読めるようになります。文学的だったり、詩的だったり、政治的だったり、数理的だったりします。


漠然と、何が言いたいのかわからないけれど、様々な文学の寄せ集めと尊敬でちりばめられたマルドロールの歌が終わると、今度はポエジーが2つ。詩なんでしょうけれど、こちらも文字がぎっしり詰まっていて、もっとわけわからん漢字になっています。でも、著者の文学の見方が分かって結構楽しいです。当時のフランスではそう考えられていたのか、それとも著者オリジナルの考えなのか。例えば著者が「三文文士」として名を挙げたのは、サンド、バルザック、デュマ、ミュッセ(その割にミュッセの引用は多い)
デュ・テラーユ、フェヴァル、フローベール、ボードレール(その割にはボードレールの引用が多い)、ルコントらで、また、詩はラシーヌ以来1ミリも進歩してないとのことで、その詩人の中に、シャトーブリアン、セナンクール、ルソー、アンリ・ラドクリフ、ポー、マチューリン、サンド、ゴーティエ、ルコント、ゲーテ、ラマルチーヌ、レールモントフ、ユゴー、ミツキエヴィッチ、ミュッセ、パイロンなどを挙げてます。
てことはこれだけの作家の本を、その年にして、よく読んだってことですよね。すごい文学的素養ですね。読んで覚えているなんて。
ポエジー2では彼らの詩を引用して逆の意味にして文章にしています。
エロヒムという存在があらわれ、それが神のところに入れられて作り替えられた文章などもあります。エロヒムが何なのか、読んだ人が好きに理解すればいいと思いますが、俗なもの、人間寄りの何かなんだと思います。「エロヒムは人間をかたどって作られている」と、紹介はそれだけです。
引用はどのように行われたか。例えば面白かったのは、
「所有しているものが流れ去ってしまうのを感じることは恐ろしいことである。なにか恒久的なものはないかと探し求める欲求があってはじめて、ひとはまさにそれに執着するのだ」と書かれています。前後の文章との関連はなくいきなり。これの原文は、
「所有しているもののすべてが絶えず流れ去ってしまうのを感じること、そして何か恒久的なものはないかと探し求める欲求もなしにそれに執着できるということは、恐ろしいことである」
というパスカルの文章なのです。こんな感じで、全部パスカルやヴォーヴナルグが道徳的に善と説いたものを逆に書いて、そちらが真理としているんですね。


この後に書簡が残されていてそれも書かれているのですが、ポエジー2では、善を書いたのだそうです。パスカルたちの説いた道徳的に善とされているものを悪ととらえ、逆説にして書き直したから、全部善なのだそうです。


ポエジー2で言ってることは結構真理のようで「何言ってんだこいつ」なところがあるのですが、それは引用の逆説になっているので、原文(注釈についている)を見ながら読んでいると、デュカスがいかに洞察力が優れていたかがわかると思います。欺瞞を許さない純粋な目があるのです。


大変読みにくい、意味がすんなり入ってこない本ですが、教養の幅が知れるというか、自分に教養のないことがよくわかる本でもありました。哲学や、詩に関して、私は今まで無視し続けてきたけれど、文学的素養に哲学と詩は欠かせないんですね。哲学と詩は反するものと私は理解していましたが、デュカスの中ではどっちもどっちと取り扱われていました。数学なんかも扱ってましたからね。


なんにせよ、楽しい電車時間を過ごせました。
次は何を読もうかな。頭を使わないのがいいな。先日ぽちったイタリア文学あたりをと思っています。


帰ってきたとき部屋の温度が28度だったんですが、窓開けて換気したら31度まで上がりました。30度は耐えられるけれど31度は耐えられない。汗かかない。こんなんで夏を過ごせるんだろうか。ポータブルテレビを買って冷房のある部屋に引きこもろうかしら。


そうそう、ショパンの白エキエル版(Bシリーズと言って、死後出版された作品集)で幻想即興曲が載っている版がアマゾンでありました。ササヤ書店や神戸楽譜より安かったです。ポチりました。明日には届くでしょう。

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