ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

休日も仕事のために努力してます?

転職のために職務経歴書を書いているのですが、その見本に、「休日も自宅のPCで仕事のためにスマホアプリ試作などを行っています」と書かれていました。


どうなんでしょうね。休日も仕事のために頑張るのはいいことなんでしょうか。仕事に関連することは仕事の時間内で終わらせて、自分の時間は自分の好きなことに費やすというのが、ライフバランスでは良いのではないかと思うのですが。


民間企業さんは休日も仕事してくれる人を嬉しいと思うんでしょうか。


私は、休日何してますかと問われたら、自分の趣味を充実させるために時間を費やしていると答えると思います。具体的には楽器と語学。


今更、この年になって、なんで語学や音楽をやるんでしょうね。やっちゃダメですかね?


価値観というのはいろいろだと思うのですが、うちの母は80手前から放送大学を始めて、来年には卒業できそうです。いとこが、「おばちゃん、今更なんで大学なんて行くの?」と聞いてきたそうです。だから「勉強できなかったから、いまやってるの」と答えたんだそうです。するといとこが言うには「おばちゃん、勉強ができたってきいてるけど?」そのできなかったじゃないんですよ。勉強したくてもできなかったという意味なんです。そのいとこをはじめとしてうちの親族では大学に進学したのはうちの姉(音大)が初めてで、うちの一家は三姉妹全員大学行っていますが、ほかのいとこたちは皆さん高卒です。私が大学院に行くのも、親戚は「女の子が大学院なんて」と言われたらしいです。


大学に行く意味…学びたいからです。自由なことができる4年間が欲しいからです。私は人の3倍学び、人の3倍サークル活動をし、人の3倍働き、人の3倍遊びました。卒業資格が欲しいから大学に行ったわけじゃないです。自分の知的好奇心を満たすために、進学しました。で、知的好奇心がますます増大して大学院に行ってしまいました。


普通は大学は就職のための予備校的な考え方があると思います。なので、文系の人は経済学部や経営学部に進む人が多く、文学部に進むと、社会で用途がないと思われがちです。理学系もそうで、工学部に進むなら就職のためと考えられますが、サイエンス系に進むと、ほとんど哲学ですから、社会に出て役に立つ学問というわけではありません。


でも、大学の4年間で、自由に勉強できて、視野を広げて、グダグダ考えて、ぼけっと過ごして、いろんなことをやったことというのは、高卒や専門卒の人にはない経験値だと思うのです。たとえどんなレベルの低い大学であっても、4年間、じっくり自分と向き合えるんです。だから、大学は行く価値があると思います。


うちの母のように、もう来年は生きていないかもしれないのに今更勉強して、と思われるかもしれませんが、ここ数年学んだ母は生き生きしていて、楽しそうでした。趣味みたいなものなのかもしれませんが、卒業しても、まだ放送大学は続けるそうです。ボケ防止の意味もあるんだと思いますが。


同様に私が音楽や語学をさしたる目的があるわけでも無く続けていることについては、それを楽しみにやっているのだから、今更やって何になると言われても、うーん。何とも言えないのです。


野望はありますよ?弾きたいと思っている曲を全部弾かないと死ねないと思っていますし、日本人作家をフランスに紹介するような活動もしたいと思っています。そのための準備ととらえて音楽や語学を続けています。退職後に自宅で音楽教室をやりたいというのもあります。


いいんです。自分が豊かになるためにやっているので。ヴァイオリンにピアノに語学にきつきつのスケジュールですが、自分で目標を設定してクリアしていくことは何事にも代えられない経験なのです。


まあ、企業の面接で休日何してますかなんて聞かれないですかね。聞かれたら、遠慮なく、音楽と語学と答えるつもりですし、そういう自分の楽しみを理解してくれない会社に入る気はありません。


というわけで今日はフランス語に行ってから、ヴァイオリンの練習をして、楽器店に弓を取りに行ってきました。今日はヴァイオリンはバッハの無伴奏を中心にじっくり練習出来て、騒音公害よりはましになったかなと思います。


明日からはメインの弓がつかえるのでもっとバリバリ弾けそうです。楽しみです。

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