ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「鼻/外套/査察官」ゴーゴリ

初ゴーゴリです。
ゴーゴリは1809年に生まれ1852年に没した「ロシアの写実主義」の作家と、一般的に言われているようです(と、解説にありました)。


ところがどうでしょう。全くこれはシュールレアリズムじゃないですか。「鼻」は、最初パンケーキの中から鼻が出てきて、それから視点は鼻を失った主人公に移るのですが、鼻がなくなって探し回る、そのうち鼻が金モールなど付けた立派な衣装で馬車に乗っているのを見かけ、戻るように何とかしようとするけれど…という、ちょっと映像的に想像するとよくわからない状況なのです。ダリ的だなと思いました。鼻そのものが独自の個性を持ってその社会で存在していることは何かを象徴しているのだろうと思いますが(例えば、日本では鼻が高いとか鼻をあかすとかで使われているような、プライドの意味がありそう)、ゴーゴリはもっと違った意味でこの独り歩きした鼻を扱っています。何だろう、何というか、人間的ではないというか、生き物ではないというか…。


「外套」は、外套が古くなったから新しく仕立てるんですが、追いはぎに盗まれてしまって、それがもとで風邪をひき、主人公は死んでしまいますが、その後幽霊となって登場します。最初主人公が、外套を新調するところまでがちょっと面白かったです。今までの外套が古くなったからなんですが、主人公は、それがまだ使えることに固執しています。ロシア人にとって外套はそれなりに高価で重要なものなのでしょうね。仕立て屋に、まだ大丈夫でしょ?って聞いても、もう古いから新しく作りなさいと返事があるだけ。ごねて、仕方ないとあきらめて、お金をかき集めて、何とか外套を新調するのですが、ロシアの風習でしょうか、友達が外套を新調したお祝いの宴会を開いてくれたりもするのです。主人公もまんざらではなかったりします。外套が気に入って、愛着も出てきて、それでも盗まれてしまうのです。「外套」も何か象徴的な意味を持っているような気がします。人間を寒さから守るもの=人間の生存を保障するもの(だから盗まれた主人公は死んでしまう)、財産を持っていることの証明、そんな意味がありそうです。これもシュールな物語で、ちょっと頭の中で動画として再生させようとしても具体的にならない箇所があって、1800年代なのに、現代でも新しいなと思ったりします。


最後の「査察官」は戯曲なのですが、これが面白い。とある田舎町に中央政府から査察官がやってくるとのうわさが。実際、ペテルブルグからの客が宿に泊まっているらしい。その人が査察官だろうと思った市長をはじめ、警察署長や判事、視学官らが慌てるわけです。自分たちは品行方正で、まずいことはやっていない、この町、市は、ギャンブルもなければ暮らしやすい素晴らしい街だということを、表現していくのですが…。
これは「むふふふふふ」と笑いながら読んでいました。本当に笑いながら読めました。オチが分かっているのですが、何というか、皆さんの慌てっぷり、自己弁護のみっともなさ、お互いがお互いを売る行為、そしてその査察官の査察官ぶりが、超面白くて、一気に読んでしまいました。


3作品とも、落語的だなと思ったら、訳者の浦雅春さんは落語調に訳したと書いていました。文章の調子がそんな感じなのです。ネタ的にもこの3つはどれも日本の古典文学にありそうな話だし、落語にもなりそうな感じです。話のうまい語り手さんがいたら講談でもいいかもしれませんね。


すっきりした~次は何を読もうかな、ちょっと難しい本でもいいかもしれませんが、ロシア物はちょっとやめたい。日本文学ですかね…。

×

非ログインユーザーとして返信する