ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「ハーメルンの笛吹き男」阿部勤也

1284年6月24日、ヨハネとパウロの日の朝、ドイツ・ハーメルンで、笛を吹く男に連れられて130人もの子供たちが村を去った。その行方は誰も知らない。


漠然と、グリム童話などで知っている、中世ドイツのミステリーの一つです。これについて、本書は当時(1974年)には十分と言えるほどの方面から光を当て、その伝説の背後にある中世社会の民俗学について述べ、それまでの過去の研究の検証を行っています。


最初は、なんだかよくわからなかった。まためんどくさい本に当たってしまったなあ…理屈が飛ぶし、私が知らないけれど、普通は知ってて当然のドイツの歴史が出てきたりして、うーん、これは読めないかもしれないと思ったんですが、ぎゃーーーーーーおもしろいーーー!!


もとは、この話は、カラフルな衣装を着た笛吹きに子供たち130人がついていってどこかに行ってしまう、という話だったのですが、16世紀くらいに「鼠捕り男」の物語が付け加えられたそうです。それは、ハーメルンの村が鼠の害で困っているとき、社会的に村に属さない、流れ者のような男が「鼠を追い払ってあげるからお金をください」ということで、村は追い払ってもらうことにすると、その男が笛を吹くと鼠が山だか川だかに一斉に移動して村から鼠がいなくなったという話がもとになっています。この続きは、その男は、村にお金を要求したけれど、たかだか笛を吹いただけで鼠を退治したことに対して、対価として支払うほどのこともないと村が判断し、お金を払わなかったのだそうです。そうしたら、まるで仕返しのように子供を連れ去ってしまったのだそうです。


さてこれは、伝説、ミステリーなんですが、子供が130人失踪したことは、史実らしいです。そして、これをどう理解するか、ということでこの本は展開されていきます。いろんな人の失踪の原因と結果論が出てきます。いろんな類推がありますが、まあこれが解明されることはないでしょう。
中でも面白い説は、「植民請負人」といって、当時のドイツの中で未開の地であった東方に人を連れて行ってそこを開墾し植民地を作ろうとした人たちがいて、その人たちによって130人が行方不明になった…というものです。こういう考え方もあるのだなあと思ったりしましたし、そういう開拓事業があったということもなかなか興味深いです。


この本では、伝説の出来上がりから変化形成も書かれているのですが、その辺は退屈でした。一気に面白いと思い始めたのは、中世のヨーロッパで、いわゆる身分制度の中に入らなかった、放浪者、賤民のことが出てきてからでした。日本だって、身分制度から漏れてしまった人たちが歴史的には存在したけれど、中世でもそうでした。ハーメルンの笛吹き男なんて言うのは、どこかの農村社会や都市社会に所属していない、身分制度に入っていない人の典型ではないかと思うのです。そして笛。音楽!!


この本で触れられている、音楽について、私は大変興味深く読みました。西洋音楽史はグレゴリアンシャントから始まりますが、実はそれ以前にローマ帝国圏ではトルバドールやトルヴェールなどの吟遊詩人的な人たちがいました。この人たちもまた身分社会の中に入っていない流れ者で、リュートや笛を持ち、村でお祭りがあれば呼ばれて演奏をしていた、というのが、西洋音楽前夜でした。
この本では、そうした人とは異なる、もっと古い民族に端を発する音楽や演劇の成立から書かれています。


曰く、音楽は、教会の集会や結婚式でも禁止されるような、禁じられた娯楽だったのです。まずは遍歴芸人の成り立ちから、社会的地位を獲得していくまでが書かれています。これは面白い。そこには、ゲルマンの土着信仰も関わってきます。ローマ的に観れば、ギリシャに音楽が存在したので教養の一つとして音楽があったのですが、ドイツ社会では全然違っていたのですね。ドイツでの音楽とは、土着のゲルマン民族の声が、凝縮されてできたようなものだったらしいのです。請け負っていたのは放浪者、演劇もそうです。中世の村ではそういう人たちを宴会に呼んで演奏してもらったり演劇をしてもらったりしていますが、キリスト教が浸透するにつれて、非キリスト教的(つまりゲルマン的)な音楽や演劇は禁じられていきます。結婚式にもパーティーにも音楽家や俳優は呼ばれなくなります。その時代がとても長かったんですね。


私たちは、音楽の歴史としては、ピタゴラスからローマ時代に教会によって保護された数学的な音楽のことを知っています。音階や、リズムやモード、そういったことを修道院が請け負ってきて、今でもわかるようになっています。グレゴリオ聖歌でヨーロッパの教会音楽が統一され、そこから近代音楽の芽が出てくるんですが、近代音楽はどちらかというとドイツよりフランスのほうが早く出てきました。その事情として、遍歴芸人への差別のようなことがあったんじゃないかと思ったりします。フランスは宮廷というのが発展していて、宮廷音楽や宮廷劇場、軍楽隊、ダンスなどが盛んになって、職業音楽家が早い時期から活躍していましたが、ドイツはちょっと遅れるようです。でも、宗教音楽はプロテスタントの元で花開いたので(カトリックでは音楽といえばグレゴリオ聖歌しか扱わなかったのですが、キリスト教の布教や、わかりやすい理解のために、たくさん宗教音楽が作られたのは、プロテスタント国家であるドイツなんですけどね、バッハとかプロテスタントですし)、宗教音楽の時代はもうすでに音楽家の地位は確立されています。それより昔、プロテスタントの出てくる前は、遍歴芸人たちが音楽の担い手で、徐々に職業音楽家と遍歴芸人の役割が交代していったのでしょう。ちなみにプロテスタント社会になってからも、結婚式などで歌を歌う遍歴芸人を呼ぶことは禁止されていたようです。この辺の歴史、調べてみたいです。何を調べればわかるのかなあ…。


その後中世社会においてハーメルンの笛吹き男の話が変化していくのですが、その変化する社会の中で、何度か魔女狩りも行われているようで、ここにも中世の混沌と迷信と非科学が見て取れます。


先に述べましたが、「鼠捕り男」の話は、ヨーロッパ各地にあったそうです。たいてい笛を吹くと鼠が集団で川に飛び込むみたいな話なのですが、多分、何かそういう技があったんでしょうね、現代の私たちにはわからない、鼠の撃退法が。この本では、どこでどういった「鼠捕り男」伝説があったかということが羅列されているにとどまっていますが、この伝説があって、ハーメルンの笛吹き男の伝説が出来上がっていることは間違いありません。


もっと深く、ハーメルンの笛吹き男伝説を追いかけて行ったら、うっすらと、ゲルマンの伝承や伝説、習慣にも行きあたるような気がしてきました。中世の村社会のいろんな行事(練り歩きとか、火祭りとか)はゲルマン起源だと聞きますから、そういうものがキリスト教にとってどういうものだったのか、キリスト教がそれらを完全につぶすことができずに残ったりあるいはキリスト教の行事にとってかわられたりして、現代にも生きているとすると、これは面白いですよ。ドイツに住んでみたくなります。


フランスに住んでいて、ケルトの伝統を垣間見ることができたように、ドイツに住むと、ゲルマンの伝統を垣間見ることができるのかもしれないなあ…。音楽の中にも生きているかもしれません。ドイツの森を思い起こさせる音楽、マーラーやリヒャルトやワーグナーの旋律の中に、ゲルマン的な響きがあるのかもしれませんね。


詳しくは、ぜひ本書をお読みください。多角的な中世ヨーロッパの研究論文です。
中世ヨーロッパを語る上で欠かせない、身分制度外の人々の生活が詳しく、ゲルマンの伝統がうっすら浮かび上がってくる本です。


次はまたヨーロッパ中世です。

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