ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「ゆめこ縮緬」皆川博子

本の帯に「皆川幻想文学の最高傑作」とあったので、どんなもんかと思って読んでみました。現実と幻想が交錯する不思議な時空間の中で語られていく女性たちの姿が、各短篇におぼろげに浮かび上がってきます。時代は昭和初期くらいでしょうか、女性がまだ社会進出し始めようという時の、古い家制度の中の女性が描かれることが多いです。


幻想文学といってもいろいろありますが、衒学的なトリックを駆使した幻想文学とは異なり、こちらは純文学。一人の人間の異なる次元が交互に描かれていたり、今から過去を見てまた今に戻る話があったり、読んでいて迷子になりそうになりました。そしてページに対する文字数が少なかったし、それぞれの短編が大変短いので、一話ずつ寝入りばなに読むことができました。


若い既婚女性(若いと言っても13歳とか17歳とか超若い)と、ばあやというのが、これら短編集のキーかなと思ったりしています。ばあやは時間を行き来しません。いつもばあやです。主人公の女性が子供の時、また大人になって結婚しても、ばあやというのはずっとある一定の視線で主人公あるいは主要人物の女性(時には男性)を見つめています。


何となく不思議な感じで読み進めていくことができます。明瞭だと思ったらおぼろげになり、殺人の想像があったとしたら実はそれが実行されていたり、女性の描写がとても幽玄だったり、普通の文学作品とは一線を画しているのはよくわかります。


よく表れる地名が中洲ですがこれは東京の日本橋中洲のことと思われます。今とは異なり昔の中洲はなんとなく都会のお隣にある幻想的な土地だったのではないかと思います。ほかに出てきてびっくりしたのは見世物屋のこと。子供はおどろおどろしいものとしてとらえますが、大人はその正体を知っています。私の時代にはそういう見世物小屋はなかったので、ちょっとピンとこないのですが、時代感は感じます。せいぜい昭和初期くらいの話でしょうか。発表されたのは90年代だと思いますが、描かれている時代はもっと古いです。


代表作「ゆめこ縮緬」というのは別にゆめこさんの話ではありません。ある少女の子供時代の話なのですが、出てくることが幻想的です。蛇屋、現れない父親、西洋人形、ちょっとおかしな母親、感性のおかしな絵画。明確なストーリーはないのですが、子供の感覚でとらえられた、何となくぞっとするような、ふわっとするような、不思議な感覚の作品です。こんな不思議な作品には出会ったことがありません。どことなくシュールレアリズムのにおいがします。


詩のような文章、わらべ歌、きっぱりとした語り口、かと思うとバカ丁寧な女性の使いそうな言葉遣い、そういう意味でも多彩でどの短篇をとっても飽きることがありません。


この作品群について何か書こうとすると、思考を取られてまとまった文章が書けません。何かに惑わされている感覚に陥ります。ふわふわした感じで2,3日過ごせそうです。
皆川博子さんのほかの作品も読んでみたいと思います。


次は、また中世ヨーロッパに戻ります。

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