ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

アニメ「どろろ」シーズン2


この続きがアマゾンプライムに上がっていたので今週何回かに分けてみました。


百鬼丸の実の親である醍醐の家のものは、直接的に、百鬼丸に、「お前を救ってあげることはできない」と言います。醍醐の家の繁栄のため、国の繁栄のため、犠牲になることを是とします。弟の多宝丸は百鬼丸のせいで国に難が起こっていると、百鬼丸を鬼神扱いし、躍起になって百鬼丸を倒そうとします。


その間に百鬼丸は鬼神を倒して背骨や足を取り戻していきます。そのうち、鬼神を倒しても自分の体が戻ってこなくなります。なんでだろうか、という焦りもあります。


どろろの秘密も明らかにされ、どろろの親の残した財産にも到達しますが、そういうなんやかんやがありつつも、百鬼丸は醍醐の国に向かい、自分の体を返せと挑んでいきます。


迎え撃つは弟多宝丸。この辺はオリジナルなんでしょうが、多宝丸は百鬼丸の目を鬼神からもらいうけます。多宝丸の二人の部下も、百鬼丸の腕をもらい受けます。


彼らを倒すことで、百鬼丸の目や手は彼に戻ってきます。


でも、最後は、決して望ましいものではありませんでした。
百鬼丸は自分の体を取り戻すために、人間の心を無くしかけていました。その刀で鬼神以外のものもたくさん切ってきました。百鬼丸を拾って彼に体を与えた人物(医師)は、人間から離れていく百鬼丸を心配し、ついに至ったのは、観音菩薩の心でした。それを彫ったのです。


それを百鬼丸に渡すことができましたが彼は死んでしまいました。百鬼丸は最終的に手も目も取り戻しますが、それはいろいろな犠牲があっての上でした。で、その犠牲の中で気が付きます。人間とはなんぞやと。人から離れて鬼神になりかけているのは自分だと。


人間から離れた行為を最初にしたのは、鬼神と取引をして、自分の子供を犠牲に国を守ろうとした父醍醐景光。彼に観音菩薩を渡して、百鬼丸は人知れず旅立ってしまいます。


どろろは置いていかれた形になりますが、ほかの国に攻め込まれて疲弊する醍醐の民の救済策として、経済を回すことを提案します。どろろと百鬼丸の旅はおしまいです。


最後の画面は、大人になったどろろと、大人になった百鬼丸の姿です。
彼らはきっと将来再開するのでしょう。そんな希望を感じさせてくれました。


もともとの原作漫画では、最後の魔物を倒すところ(すべての体の部品を取り戻すところ)までは書かれていないのだそうです。百鬼丸の母親の行動や、多宝丸の行動などは、今回見た「どろろ」2019年版のオリジナル設定かもしれません。アニメ化は1967年ころにされており、その版を見ればわかるのでしょうけれど、それはまたいつかの話に取っておきます。


さて、旅立った百鬼丸は、身体を取り戻して、見る力も取り戻して、やっと人となれたわけですが、この物語では、「人となる」ということが別の意味でも使われています。人としてやっていいことと悪いことがあると言ってしまえば簡単ですが、人の道というものを見失ってはいけないということを、また、人の道を失いかけていた百鬼丸がこれから長い旅でそれを取り戻そうとすることを、示唆していると思います。こう書くといかにも浅い道徳物語のような気がしますが、実際見てみると、なぜ百鬼丸が生き残り、その父醍醐景光が生き残り、どろろは経済を回し、将来再開しそうな含みを持たせたのか、何となくそういうことかとわかるような気がします。


アクションもカッコよかったですし、百鬼丸がだんだん人になっていく過程もまるで子供を育てているような感覚で見ることができて、大変面白かったです。手塚作品からは学ぶことがたくさんありますね。若くしてこんな素敵な作品が描け、現代になってリメイクされアニメ化されて、多くの人がより多くの意味を含めてくれた、すごいことですね。


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