ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「ミトラの密儀」フランツ・キュモン

この本は、フランツ・キュモンのミトラ信仰に関する論文の「結論」に当たるのだそうです。そしてこのフランツ・キュモンという人がこれを書いたのは前前世紀、1899年で、この本はそのころのローマ史やペルシャ史などを反映させた、古典的研究著作なのだそうです。シュリーマンみたいなもんでしょうか。あちらはドキュメンタリーだけどこちらは研究論文ですね。


ミトラ信仰、ミトラ教、などというと、ローマ帝国時代に帝国内にちょこっと広まった、インド古来の古い神様を祭る宗教という印象ですが、このキュモンさんは、ミトラという神様の発祥をインドとし、宗教化していったのはマズダー教の下であったとしています。それがさらに西に伝わってローマ帝国で祠が作られるようになった、ということが大体わかってきています。


モチーフは、4頭立ての馬車に乗って空をかける、太陽の神様だったり、牛を屠る姿だったりで、場所と時代によって変わりますが、牛を屠る姿についてはローマ風な彫刻がローマ以西で作られました。ただしこれらは破壊された形跡も多くみられ(キリスト教の広まりによって、異教とみなされたのだろうかと)、秘密の祠がのちに発掘され、保存状態のいいレリーフなどは大英博物館やルーブル美術館に収蔵されています。


さて、ミトラの密儀といいますが、この本には、その「密儀」については詳しく触れられていません。大体のミトラ教の歴史とローマ帝国への広まりについて述べられています。ミトラという神様はもともとは契約の神だったのですが、西に行くにつれて、火の神、光の神、太陽の神、不敗の神とされて崇められていきます。どんな人が入信したのか、おそらく男性のみ、窓のない祠の中で、何かしら秘密めいた儀式を行っていたようなのです。書かれた歴史がほとんど残されていないので、どんな儀式があったかということは今ではわかりません。また、階級制度があったことはわかっていますが、どういう人がどういう階級に入るのか、それもわかりません。この宗教に入るには、何か儀式を行うということも知られていますが、具体的にはわかっていません。


ただ、ヨーロッパには結構ミトラ神を祭った祠(ローマ時代のもの)があるのだそうで、私はちっともそんなことは知らず、ルーブル博物館にいってもそんな大事な貴重な、約1600年前のレリーフを見に行こうなんて思っていませんでした。イタリアに行ったときも、結構遺跡があったらしいのですが、見てこなかった…惜しいことをしました。
(しかしこう考えるとローマは何でもありですね、文化のごった煮という感じ)


まあとりあえず、この本には、詳しいことはあまり述べられていないので、本の半分くらいが本文で、あとは注釈と、どこでミトラ神の祠が見られるかについてと、日本人の訳者の紹介記事になっています。


私が興味を持った理由は、前々からキリスト教に対する異教の存在を知りたかったからなのですが、ミトラ教も、キリスト教がローマでノリノリのころ(~4世紀)、栄えたらしいのです。キリスト教は厳しいから、自分たち以外の信仰を持つものを許しません。でも、すみわけができていたみたいですね、ミトラ信仰は貧しい人たちの間に、それもほんの僅かに伝わっただけで、皇帝が帝国の宗教にしてしまうようなキリスト教とは、区別されていたみたいです。そもそも信者を増やしていこうという宗教ではなかったようです。一方で、ミトラ教がキリスト教に与えた影響も多少はあるのではないかと言われています。その一つが12月25日を祭日とすること。もともとミトラ教では日の出ている時間が一番短い12月の25日(当時なので、今とはちょっと違います)がミトラ神の生まれ変わりのお祝いの日だったそうです。その習慣が、キリスト教に取り入れられた、という人もいます(私はそうではないと思いますけどね)。ちなみにキリスト教の大本山であるバチカンは、12月25日はイエスの誕生日ではなく、イエスの誕生を祝う日だと言っているようです。
それから洪水伝説もキリスト教(ユダヤ教)と共通するところがあるのだそうです。小アジア・メソポタミアの土地にはたいてい洪水伝説がありますから、例にもれずという感じでしょうか。


インド・イラン生まれのこの神格は本当に古いもので、そういえば古い神様といえば閻魔大王も古いんですよね。アーリア人がインドに入ってきたころからの神格だそうです(閻魔大王は最初から地獄の裁判官だったわけではなく、人類最初の死者で、死の国への道筋をはじめて行った人で、それゆえ冥界の王となったんだそうです)。閻魔大王は東に広まり、ミトラ神は西に広まった、と対照的に考えるのは軽はずみでしょうか(最初は火の神だったらしいです)。ペルシャではゾロアスター教が興隆し、ミトラ神はゾロアスター教がアフラ・マズダー以外の神様も祭ってOKとなった時に、中級神としてまつられていたようです(この時はもう火の神様ではなかったようです。ゾロアスター教が火を一番に祭っていたので、一番のアフラマズダではないから、象徴するものが別のものに変えられてしまったようです)。


ローマに広まってから、ローマの天界構成はしっかりしていたので、対応する神様がいれば習合されてしまうはずなのですが、この光の神、天界と地獄の境界領域に住むような神様はいなかったため、ミトラ神はミトラ神のまま残ったようです。ちなみにオリエントではシャマシュと同一視されたこともあるそうですが、シャマシュはローマには入ってきていません。


紀元4世紀くらいまではミトラ教は生き残っていたみたいですが、大勢力とはならず、世界の歴史に影響を及ぼすまでには至らなかったようです。ただ、ローマの歴史の中に出てくることもありますし(それで興味を持ったのがユリアヌス帝なんですが…「背教者ユリアヌス」という本を読みたいんですが…4巻もある…読めない…)、遺構があちこちで発見されているので、考古学的な調査がなされ研究され、フランツ・キュモンという人が近代で一番最初に何とかまとめたのがこの本だったわけです。


ちょっと読みにくいこともありますし、現代わかっているゾロアスター教やマズダー教のことと違っていることもありますし、何より古代ペルシャ近辺の事情、アーリア人の入植とその宗教のことを知っていないと最初は何が何だかわかりませんが、とても勉強になりました。この宗教はキリスト教から見たら異教だけれど、迫害をうけたりはしなかったし(多分)、魔女伝説には何も関与していないし(そもそも女性は入信できなかったらしい)、異端者というわけでもないようですし。ちょっと私の目的からは外れているかなという感じはありましたが、こうした古典的著作に触れるのもたまにはいいですね。
研究論文読んでいる気分になりました。


次は日本文学!

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