ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「ヨーロッパとゲルマン部族国家」クメール・デュメジル

キリスト教にとって、何が異教か、何が異端かということを調べていた時に判然としなかったのが、「ヨーロッパって何民族の国?」ということでした。


漠然と、一般常識的に、イタリアとスペインとフランスは「ラテン系」と言われ、北欧とドイツは「ゲルマン系」、東欧は「スラブ系」、フランスの一部とアイルランドなどは「ケルト系」などと言われていますが、そんなに仲良く民族が分割して繁栄したとは思えなかったのです。日本みたいに孤立した国だったら交じり合わないけれど、大陸でいろいろ資源がある国の民族が交じり合わないわけがない。中国がああなのだから、ヨーロッパだってそうだろうと。


というか。
「我々ラテン系!」って言ってるイタリア人って、ローマ帝国の子孫を名乗りたいけれど、イタリア人ってほぼゲルマン系じゃね?


という疑問にはっきり答えてくれる本を探していたのです。


世界史地図帳など見るとわかるのですが、西ローマ帝国時代はあの長靴の半島はがっつり「東ゴート国」でした。ゴートというのはゲルマン民族の一つでかなり大きな勢力があったらしく、西ゴート王国はスペイン、東ゴート王国はアドリア海周辺を治めていました。


それに、ドイツ、フランス、イタリアの基礎になっていると世界史で教わる「フランク王国」を作った(と思われる)フランク人は、ゲルマン部族です。


ええーじゃあラテン系って区別していたラテン語系の言語を操るイタリアとスペインとフランスが似ているのって、フランスとドイツが似てるのと同じくらいのもんなの??


それよりびっくりなのは、アングロサクソン人も、ゲルマン部族の一つだということです。えええええイングランドの民族はドイツ人やイタリア人と同じなの…。
(イギリスはイギリスだけで複雑なのです。スコット人はもともといたアイルランド系ケルト人と言われていますし、ピクト人という未開の人物もいました。アイルランド人はケルト系ですが、彼らとフランスのケルト民族は親戚です。ってことは、イギリス人って血縁的&文化的には、ゲルマンとケルトと両方持っているんです)。


まあ、読みはじめた動機はどうあれ、この本がどういう本かというと、ゲルマン民族のローマ帝国への接触と、キリスト教化、国家化まで(ヨーロッパの古代末期から中世初期)が書かれている本であって、ゲルマン部族がどこから来たかとか、どんな人たちとか、どんな文化を持っていたかとかいうことにはほとんど触れられていません。


一般的に、学校で習う世界史で最初に「ゲルマン民族」という文字を見るのは、フン族(南ロシアより東のアジアに住んでいた騎馬民族)が西方(北欧とか、中央ヨーロッパ)に移動してきたときに、そこに住んでいたゲルマン人が、ローマ帝国の領土に接触した「ゲルマン民族の大移動」によってです。それが4世紀だから。


なーんだ、結構最近やんか。


いやいや、最近シュメールがどうのこうの、ユダヤがどうのこうのという本を読んでいたものですから、そういう紀元前20世紀がどうのこうのという歴史に比べたら、ゲルマン部族なんて新参者でしかないです。


まあ、結局ですね、この本から読み取れることは、3世紀に初めてゲルマン部族がローマ帝国に接触し、やがてキリスト教化し、国家をつくる過程で、ローマ文化(ローマ帝国の文化)を取り入れた”蛮族”(この本ではゲルマン部族を終始”蛮族”などと呼びおって全く無礼極まりないわい!)がローマ人やローマ文化と溶け合って、その後のヨーロッパの基礎になっていくという、せいぜい7~8世紀くらいまでの話です。


ちょっと混乱しています。例えばフランク王国は3つに分かれてドイツ、フランス、イタリアの基礎を作りますが、フランスとイタリアはなんでラテン系って言われて言語体系がラテン語に依るのに、ドイツはゲルマン語であるドイツ語なんだ?ラテン系言語とゲルマン系言語の違いは、赤と緑くらい違うぞ?


ちなみにオランダ人もゲルマン民族。北欧人もフィンランドを除いてはゲルマン民族の国家です。言語区分ではそのようになっています。


民族の分け方には、血縁や血統による区分もありますが、共通文化を基準とする場合もあるし(ケルトとかはそうです)、言語学的特徴が似ている言語区分というものがあります。今、ヨーロッパで○○系と言われているのは言語区分なんでしょうね、イタリアとスペインがラテン系なのは、言語がよく似ているからです。フランスもラテン系と言いますが、フランス語はちょっと違う。だからラテン系と一緒にするにはちょっと抵抗がある。


南米の人たちがラテン系なのも、スペイン語を話すからですが。


新しく知ったこと。
蛮族(ゲルマン部族)は、言語による伝承を持っていないため、その歴史が詳しくわかっていないこと。起源は中北ヨーロッパにあり、ライン川・ドナウ川あたりで暮らしていた、戦闘部族だったということ。
ローマ帝国の傭兵として、結構活躍していたこと。
メロヴィング王朝もカロリング王朝もゲルマン部族の王朝だったということ。クローヴィスもフランク王国の王様でゲルマン民族。ほかにもバイエルン族というゲルマン部族もいたらしい。現在のドイツを構成するいくつかの部族はゲルマン部族に起源をもつ部族(小国家?ドイツは連邦なので、小国家の集まりとみなせる)があるということ。


ちなみにオーストリアとかは、古くからいるゲルマン部族じゃないです。もっともっと後の時代にスイスのあたりから出た豪族が起源になっています。ハンガリーはゲルマン系ではあるけれど、彼らの国家的アイデンティティは、「実はアジアから来た騎馬民族が我々の起源なのさ!」ということ。フィンランドとエストニアとハンガリーはヨーロッパでも別のくくりの語族で似ている。でも歴史のあれやこれやがあってオーストリア・ハンガリー帝国なんていうのができたこともあった。オーストリア人はドイツ語を話すけれど、そんなにごつくない。だからオーストリア人もゲルマン系だといわれると、ええええあのおいしいお菓子の国が?とおもってしまう。


今日はちょっとまとまりがないですね。まとまってない本読むからですよ。


ちなみに、ベルギーにキリスト教が到達するのが6世紀、ベルギーにはそれまでゲルマン系の民族が住んでいました。そのお墓とか遺跡を見に行ったことがありますが、6世紀の日本と比べて、勝った!!と思いました。6世紀って聖徳太子世代でしょう。日本には漢文や竹簡があり、仏像があり、中央集権政治があった。けれどベルギーあたりは同時代まだまだ文字文化がなく、かろうじて十字架が伝わっている、それも副葬品に一つ入ってるかどうかという感じのレベルだったようです。


ま、ローマ帝国様には負けますけどね。ローマ帝国の話を今度は読んでみたいです。どんな風にゲルマン民族と融合していって、どんな風に「伝説」になってしまったのか。確かにローマ帝国はすごかったけれど、歴史的に観たらその繁栄は一瞬です。ギリシャのほうが歴史が長いけれど、本地垂迹説よろしくギリシャの神様の本地をローマの神様にしちゃったくらい権力はあったんです。それがボロボロになっていく様子を知りたいですね。塩野七生さんのローマ人の歴史でも読もうかしら。


いやー。手を休めるつもりが、キーボード乱れ打ちしましたね~。明日は左手使わないで済みそう。出勤して、昼前には職場を出て、羽田から福岡へ入ります。一泊二日の博多です。東京は雨で寒く、福岡は張れてあったかいそうじゃないですか。何着ていったらいいのか迷っています。


まあ、とりあえず寝ます。
それでは明日は博多からお送りいたします。


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