ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「みんな彗星を見ていたー私的キリシタン探訪記」星野博美


John DOWLAND - Galliards - Paul O'DETTE.avi
ふう。1週間かかってやっと読めた。時には読書に集中できないほどの心理的事件がありましたが(学会もありましたね)、面白くて毎日1時間くらいは読んでいたかな。


とても重い本でした。いや文庫本にしては厚みがあるので実際重いのですが。
エッセイです。私、こんなに長いエッセイ読んだことがありませんでした。テーマはキリスト教伝来から江戸時代にわたるキリシタン殉教の歴史。そこに香港とマカオが交錯していて、ついには最後の方では殉教者の一人の故郷スペインに足を運ぶ。


そこで、天正遣欧少年使節団が弾いていたリュートに、この著者は興味を持ってしまったようなのです。ああ~そういうこと書かんといてよ~私が弾きたくなるやんか~。おなかすいたところにチョコレートケーキを置かれた気分でしたよ。


ということで、Youtubeでダウランドのリュート音楽を聴きつつ、ああそうかダウランドってイギリス人かと思いつつ、ギターともマンドリンとも違うその音の響きを味わいながら、当時のキリスト者の歩み、追放、殉教を読み進めていきました。


キリスト教の人間である私にとっては、当時の政策上の必要から、最初は殺したくなくて追放するということが起こり(一応慈悲深さを示したんですよね)、そのあと、それでも居残った神父や修道士を殺さなければならなかった事情は、日本側からも、キリスト者側からも、知ってはいる。だから、目新しいことは特にないなあと思って読んでいたけれど、出てくる出てくる知らなかったこと。


一番ショッキングだったことは、聖遺物についてですね。火あぶりになった神父や修道士の灰や骨、着ていたものを当時の信者は奪い合うほど欲しがったらしいのです。えええ悪趣味な、って思ってしまうのだけれど、これって日本的か?という疑問に、この著者は答えている。そういった「聖遺物」収集癖は日本だけのものではなく、ヨーロッパでも広く行われていて、聖人の使ったモノや残した手紙などはすべて崇敬の対象になっているというのだ。キリスト教はもちろん偶像崇拝禁止で、モノに対しても崇拝は禁止している。だけれど、聖遺物を崇敬することを通じてキリストを崇拝することは許されているのだそうだ。今でも聖遺物として、本物かどうかわからないけれど、イエスが貼り付けになった十字架の破片とか、イエスが着ていた着物の破片とか、12使徒の着ていた着物の破片とか、骨とか、あるらしいですよ。


私はこの「聖なる人の残したモノにこだわる」気持ちというのは、世界のどこにでも見られる偶像崇拝の変形した残りではないかと思っています。ケルトの神話を読んでいても、ゲルマンの神話を読んでいても、やっぱり聖遺物崇拝的なところはある。キリスト教なんて新しい宗教ですからね、ちょっとはそれ以前のバアル神崇拝時代の習慣に近いものを残して、そこにカトリックらしい理屈をつけて(崇敬はいいけど崇拝はダメとか)キリストの受難を描いた図を残したり、マリア像を作ったりして、信じる人の信じる気持ちを維持しようとしていたのかなと思ったりします。


鈴田牢の話は初めて聞きました。10畳ほどの広さの牢に30人ちょっとが収容され(日本人も外国人もいたそうな)、結局は全員処刑されてしまう。日本人は斬首の人もいたみたいだけれど、外国人宣教師は皆とろ火の火刑だったそうです。そんな狭いところにいても、日本のキリスト者の歴史を書き残した一人の福者がいます。オルファネールという、殉教者です。当時の日本の様子を書いたものとしては、ルイス・フロイスの「日本史」が有名ですが、ルイス・フロイスはもっとお役人的だし、情報収集して記録しただけです。それに対してこのオルファネールは、日本の各地(主に西日本)でのキリスト者の活動を実際に見て、最後まで記し続け、牢の中では校正し、ほかの修道会の修道士にも内容を確認し、きっちり残した人なのです。
(牢と言ってもすごく厳密なものではなくて、キリスト教の信者が差し入れしたり手紙を出してもらったりできたみたいです)。


最近母が五島に行って、狭い牢を見てきたらしいです。6畳ほどの牢に20人以上詰め込まれていたらしいという話をききました。それを見てきたんですね。母も人生の最後になってそんなところを訪れるなんて思っても見なかったでしょう。


それは置いておいて。私がこの本で唯一涙してしまったのが、この著者が、そのオルファネールの故郷であるスペインのラ・ハナというところの教会に行ったときの様子です。日本人は一方的に悪者にされていました。オルファネールを殺したからです。そんな現地人との最初の接触の様子から、ヨーロッパ人の持つあのおおらかさと熱と、物事を受け入れる広い心を感じました。
著者はそこで初めて神父に、日本人も4万人も殺されたという話をして、それをミサでラ・ハナの教会に来ている人たちに伝えたところ、みんな態度がころっと変わって、親し気に著者に話しかけに来てくれ、友好ムードが生まれた、ただそれだけなんですけど、なんだか私にとっては涙が出てくるシーンでした。


私たちも一緒なんだよ。
大切な人をたくさん殺された。
大切な、宣教師たちを、神父たちを、殺されてしまった。
そういう意味では兄弟だ。
日本人に対するラ・ハナの町の人々の誤解を解いてくれてありがとう。


ほかにこの本で驚いたのは、宣教師にバスク人が多かったということ。これは当時の政治的な背景があったのだろうと思うけれど、それって、例えば中国での客家みたいな感じではないでしょうか。中国人なんだけど独特の文化を持っている人たちと、バスク人がかぶります。客家の人ですごい人は太平天国で有名な洪秀全。と思ったらこの著者もそのことを書いていて、共通点のように感じているらしいです。


この著者はキリスト教の信者ではないから、かなり客観的に、自分のことではないと割り切って、長崎や大村、五島で感じたことを書いてくれている。私とは違った感性の持ち主なのだけれど、これはキリスト教信者かどうかの違いじゃなくて、本当に個人の違いなんだろうなと思ったりしました。
私はきっと無理だな、年々涙もろくなっていってしまって、とても冷静に見ることができないと思うから、長崎や大村、五島へはいけない。その背景をここで知ってしまったから、無表情で通り過ぎることは決してできないだろうと思う。


長いエッセイで、読むのはちょっと大変かもしれませんが、ダウランドのポリフォニックな音楽を聴きながらぜひどうぞ~。ダウランドはイギリス人だからこの本で出てくるスペインポルトガル人とは雰囲気が違うんですが、長くイタリアで音楽の勉強をしたし、イギリス国教会ではなくカトリック教徒だったので、なんだか通じるところはあるかと思います。

次は何を読もうかな!!現実逃避!読書の世界へ!

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