ひまわり畑を夢見るブログ

40歳超独身女性です。2016年1月、乳がんとの診断。でも仕事を辞められない、いったんやめたらもう戻れない研究職です。仕事と病気と本当の職である音楽とうまく付き合って必死で生きていく記録です

いろいろ検査DAY

いろいろ検査の日でした。昼から超音波の予約だけしてあって、その他肺のレントゲンと呼吸機能と血液検査などはいついってやってもいいですよといわれていました。

なので、混んでいたら時間かかるかもしれないなと思い、早めに10時半くらいに行きました。受付では、肺レントゲン、肺機能、心電図、超音波は登録されていたけれど血液検査は登録されておらず、なんでだろうと思いつつ、いわれるままの窓口にいって、言われるままの検査を受けてきました。

昼から超音波エコーの検査だったのですが、他の検査が早く終わってしまい、お昼前だけどだめもとで行ってみようと思って行ったら待たされずにやってくれました。


それはもう今までにないくらいの念入りな超音波でした。くびから、あばらの下のほうまで、両胸、じっくり、見ていただきました。私はびびりなので、「もし転移があってしこりが見つかったら絶対そこでとまって念入りにやる。だからどこかをじっくりしらべられたら転移だ。こわいこわい」と思いながら超音波をやってもらっていたのですが、うん、わきの下あたりを丁寧に何度もやっていたので、なんか怪しいです。もしかしてわきの下転移????ぎゃあああああー。あと腫瘍のない左側もチェックが入っていたので(丁度画像操作が見えたので、そこだけフォーカスして四角いしるしをつけていました)こっちもなんかある???えええええ???


呼吸機能の試験では、息を思いっきり吹いてください、と言うのをなんどもやり直しさせられました。「本気出してないでしょ!本気で!」「もっともっと、100個くらいろうそく消す勢いで!」といろいろいわれましたが、私、肺活量ないので、ものすごく一所懸命やっても人並みにならないんですよね。しんどかった。しかし呼吸機能の検査って何のためにやるんでしょうかね。


血液検査が入っていなかったので、乳腺外科に問い合わせたら、昨日にとうろくされていたらしく、まあ、先生の間違いですかね。でもすぐやってくれました。今日もよく血を抜いた。それが最後で、午前中ですべての検査が終わり。今日仕事休みにするんじゃなかったなー午後から出勤しようかなーと考えつつ、病院付属のドトールへ。なんかトレーを持っていた手がすべってコーヒーをぶちまけてしまいました。


午後は、いろんなこと想像してしまうので、昨日録画したアニメを繰り返し見ていました。あと読みたいと思っていた本を始末。ああそういえばそんなに時間があったんだから家に帰ってきてから掃除したらよかったのに。なんて怠惰なんだろう。


次は骨シンチグラムです。いったいどういう原理でどういうことを調べるのか分かりませんが、全身の骨に転移がないかを調べられるのだそうです。

その前に。母が肺がんの手術をします。8ミリの腫瘍だそうです。悪性ではないそうです。術中病理検査して癌だったら開胸しますが、基本腹腔鏡手術なので負担は軽いのですが、さていつ私が乳がんだと話をしたもんか。



おとうさん

父は心臓弓部動脈瘤をかかえていました。なんとその大きさは直径9センチ。私はCT画像を見たとき、それが心臓かと思ってしまったくらいです。私のこぶしくらいはあった。


動脈瘤の中に人工血管を通し、ステントを入れて拡張する大手術をすることになった。


あれは2008年の話。

いつ何時、思い出しても、泣いてしまう。

同時に、いつでも私もおとうさんのほうに行きたいと思ってしまう。


だからここに書いたのは戒め。

私は当時フランスで仕事をしていたため、手術のときに戻ってきて、

そして、その後、なくなるときも、たまたま今後のことを相談するつもりでフランスから帰ってきた、その3日後だった。

「あなたが帰ってくるの、待ってたんだよ」

それを言われると、号泣です。

とうに父には意識も精神も、父と言う人間性も魂さえもなくなってしまい、体を動かすことも出来なかった。ただの入れ物、植物人間になってしまっていたのに。わたしが帰ってくることなんかわかるか!でもそうだったら、それはもう父の意思とかではなく、感覚というかもっと低レベルの本能でわかっていたのかもしれないです。


私はひそかに父は幸せな死を迎えたと思っている。この世の最後に聞いた声は、たぶん麻酔のときの「はい、麻酔しますからね」というやさしい看護師の声だったと思う。この世で最後に思ったことは、もちろん手術の恐怖もあっただろうけれど「畑、何植えようか」だったと思う。そして、手術中に多発性脳梗塞になり、以後父と言う脳内構造は消えてしまい一度も動かなかった。


父は、出来の悪い私のことを褒めたことなんか一度もなかった。

いつも怒られてばかりの出来の悪いがきだった。

手術室に向かうときに、海外の学校で教えられるようになった私に向かって

「おまえはかしこいなー」

といっていた。これも号泣。



はー。ストレス解消した。父のことは涙無しに思い出せないんですが、研究に行き詰ったりしてストレス解消したくて泣きたいときはいつでも思い出します。

癌が怖くて自分が死ぬんじゃないかと思うこともあるけれど、そういう時も父のことを思い出します。そうするとぜんぜん怖くなくなるのね。現世では個人個人があってそれぞれ悩みや考えを持っているけれど、死んだら、魂になって、空に流れてる川みたいなところにみんな吸い込まれていって、ひとつの宇宙みたいになるんじゃないか、おとうさんはそこに混ざっちゃって消えてしまったけど、私もそこに行くだけじゃないか、なんて考えてしまう。

無、なんだよね。自然に還って無になって、またそこからなにかが生まれるんだろうね。


あ、これでも私はクリスチャンです。


生き方を変える必要がある

乳がんとわかって、いろいろ調べた。先輩患者さんのブログをみたり、ガイドラインを読んだり、病気のこと、病気をしても生活している人たちのことを知ることが出来た。

わかったのは、今度手術して取ってしまっても、抗がん剤をやろうがホルモン剤をやろうが、常に再発の恐怖を持って生活していかなければいけないということ。


一回乳がんにかかって、「治りました」というのはないんだ。

症状がおさまって普通の人と同じになりました、とはいえるけれど、がん細胞はどこかにいて、いつまた活性化しようかと準備を始めている。もともと持っている免疫ががん細胞を押さえにかかってくれているけれど、免疫が弱くなったら、がんが勝つ。


私は免疫が弱くなるような仕事の仕方をしている。

研究職だもの、これだ!と思ったときには、昼も夜もなく研究する。ご飯を食べることも忘れる。トイレに行くことも忘れる。何か探している段階ではだらだらしながら図を出して眺めて一日二日がすぎていく。そういうときはお菓子食べながら、のろのろと仕事をしている。こんな生活、健全じゃないに決まっています。


いやいやまっとうな研究者はちゃんと一日三食食べて、おやつも控えて、きちんと朝は定時に来て、きちんと夜は定時に帰る方がいらっしゃいます。

私もそうなって、ちゃんと毎日免疫力が上がる食事を自分で作らないといけないな、と思い始めているのです。


自炊なんてしてないです。うちには炊飯器がないですし。

これを改善していく。免疫力が付くような、がん細胞が減るような料理をちゃんと自分で作って、もちろんインスタントとか無しですよ、野菜から買ってきて、魚も肉も自分で料理。そういう生活スタイルに変えていかないといけない。


仕事がねー。ルーチンワークで定時で上がれる仕事だったら出来ると思うんだけど、そういう仕事じゃないんですよね。ましてや、パーマネントじゃなくて有期研究員だから、出来るだけ結果をださないと、次の年はやとってもらえない。私なんかはとろいからひとの倍働いても足りないんだから、人の3倍くらいは働かないといけない。そんな私が家に帰るのだって12時近いし・・・。


こういう時思う。奥さんが欲しい・・・。

大体ですね、研究の世界にいて思う。女性研究者もすごい人はいるんだけど、ほとんど、一流の舞台に立てないんですよ。女性は研究以外にも家事があるじゃないですか。それでも一流の舞台に立ってる人がいるけど、ほとんどそれ以外見渡してみると、そもそも女性研究者の数が少ない。家事と研究の両立なんてやっていけないもの。なのに、学会では研究者の女性比をあげようとかなんとかいって、男の人はいいですよね、奥さんがご飯作ってくれて家庭のことは奥さんがやってくれて子供も育ててくれて。それをやりながら研究する女性もいることはいるけれど、本当に優秀な人だけなんですよ。それで残っていけるのは。

なんか愚痴になってしまった。


まあともかく、これからは、癌と共生していくんだと思わないと、そのためにまっとうな生活を送ろうとしないと、長生きは出来ない、ということですね。研究の世界で出世を見込むより収入はなくても安定した平らな仕事をしなきゃいけないかなと思っています。