ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

9月の総括~~!!

今月は仕事をコツコツ、ピアノもコツコツの一か月でした。
今月は生き生きできたかな?

  • 仕事:ひたすら論文を読みました。50本くらい?新しいプロジェクトも走っています。
  • 健康:おおむね健康
  • ダイエット:体重計に一度も乗っていません、怖くて乗れない。
  • 音楽:ひたすらピアノ。情熱レッスン3回。だけどあまり上達していないなあ。
  • フランス語:4回行きました。
  • 読書:2冊読了、「盲獣・陰獣」江戸川乱歩、「ピアノの歴史」大宮眞琴
  • 買い物:すごいたくさん買った。服は買っていないが本が11冊。読んでない本を数えるのが不可能になりました。あと、薬とかも買ったかな。英会話学校のチケットまとめ買いしました。

ピアノは今月皆勤賞。ニャンコ先生カレンダーのすべてが真っ赤なシールで埋め尽くされました。


さて10月の目標

  • 仕事:外国人との会合があります。それまでに基礎知識をつけてディスカッションが出来るようにしておきたいです。
  • 健康:健康維持
  • ダイエット:お腹がへこまないので何か対策を考えないと。
  • 音楽:コンサートグレードがあります。1週間みっちり練習。それが終わったらスクリャービンのエチュードをもう一つ。
  • フランス語:いつもの通り
  • 英語:マンツーマンレッスンに通います。
  • 読書:今すごく面白い本読んでます。気候文明史という本。わくわくが止まらない~。
  • 買い物:大きな買い物の予定なし。本は買わない。英会話のチケットまとめ買い(誕生月なので安いのです)
  • その他:新しいピアノの先生にいろいろ教わりたいです。次の目標はヤマハの演奏グレードかな。初見ができないので、そのやり方を教えてもらいたいです。英語も始めます。

さて今月はパリから帰国10周年でした。10月も生き生きできますように。

1日6時間練習開始

今日から本番まで、空いている時間は全部ピアノ練習しようと思います。
今日は1日6時間。早朝からと、お昼休みと、夕食後から。


弾けるんですよね~。なんかすごく弾けてるんですけど、先生の前ではボロボロでした。うーん。本当に、私の緊張しいは何とかしたいです。


今朝も5時半起きで8時まで寝てしまいましたが、本番の日は、5時半起きで、電車で6時半から7時半まで寝ることにして、8時まで寝るのはOKということにしました。その実験を、明日行ってみます。


明日は病院の予約が10時半のところ、10時45分に変更してもらいました。間違えて東京の練習スタジオを1週間早く、朝8時から9時半まで予約してしまったためです。でも、練習にはいいですよね。本当に8時から練習出来るのか、眠気に勝てるのか、ちゃんと焦らずに頑張れるか、そこが肝心です。眠気で練習出来なかったら、多分、本番前日に都内ホテルに移動するかと思います。


そこまでお金と練習時間をかけても、今回は受からないと思うのです。緊張してひとつ崩れると総崩れなので、その確率は今80%。10回弾いたら2回は成功するレベル。


明日は病院から帰って12時半、とびきりおいしいご飯を食べて1時から3時まで練習、3時から移動して5時からレッスン。6時から8時まで練習。トータル6時間ピアノに触ります。


日曜はあまり練習出来ません。朝はフランス語で、午後2時から4時まで練習。いいグランドに触れるので、練習になりそうです。帰宅後7時から10時まで練習。


月曜火曜は朝2時間、昼休み1時間、夜7時から3時間。


水曜は出勤日だから練習できないけれど、家に帰って練習するのではなくて、東京のスタジオで6時半から9時半やろうかな。お金かかるけれど。


木金は月曜火曜と一緒。
そしていよいよ土曜本番。土曜は朝8時から1時間半練習です。


怖いよ~。今から伸びるんだろうか。自身がありません。もう今回はダメでいいです。きれいな旋律のところだけ、とびきり綺麗に弾こうと思います。そこだけ評価していただければいいかなと。


気合入れて頑張ろう。今の時点で全然弾けていないので、ぎりぎりまで頑張ります。


円楽さん亡くなられたのですね。まだ72歳。うちの父は71歳だったけど、若すぎる。病気に耐えて今までよく頑張ってくださいました。どうか安らかに。神の国に迎え入れられますように。

堕落した一日+最後の情熱レッスン

とうとう、朝寝てしまいました。


3日坊主というのはこのことですか。月曜から、朝は5時半起きで頑張って朝耐えて、本番に備えようと思っていたのです。ですが。とうとう今日は我慢ならず、8時半まで寝てしまいました。うおおおおおお眠い!
その後も仕事のノリをつかめず、何もできないまま一日が過ぎ去ってしまい…。


夜7時半からのレッスンに行ってきました。
今日は最後だから、今日こそいい演奏をするぞと、昨日までは気合が入っていたのです。でも先生の前で弾いたら、全然弾けてない。1曲の中で15回くらい止まってしまい、スクリャービンに至っては音を見失う大惨事。左が上か下かわからなくなってしまった…うああああああああああ。


先生も言葉が出てこない様子で、困っておられました。


間違えるところは間違えるんですよね、あと1週間で何とかなるのか?なぜ間違えるかはわかっているから、直せばいいんですが、緊張すると全然できなくなってしまう。スクリャービンは練習時は3分10秒台で弾けてましたが、今日は全然できませんでした。


「細かいことは前言ったとおりだから」とうとう先生、繰り返しいうことに飽きたようです。というか何回も同じこと言われてできてない私が悪いのですが。
「表現について勉強しましょう」
ということで、舞台上でどんなふうに表現したらいいかということについて、教えてもらいました。例えば幻想即興曲の最初の出だし。いきなりインテンポにしないで、ちょっとゆっくりから始めて早くしていく。そうすると私、最初の音の前で3拍と4拍のカウントを取っているので、弾けないんですけど…。でもそれは言わない。もっと教えるところがあるから。例えば最後の和音2つ。これだけで30分は講釈をしていただきました。
大事なのは、鍵盤を押した後それが帰ってくるのを指先で感じること。うん、わかりますよ言いたいことは。私もヴァイオリンだったら、最後のサイン波の一つまで、指先で感じることが大事って教えますし、それをとらえられているかどうかで、弾けているかどうかを判断しますから。そこの、大変微妙な、繊細な部分なのです。そこが私が実践できないところ。先生がやるようには、私にはできなかった。でも、マシにはなってきました。今回の曲や今までやった曲だけではなく、今後新しい曲を見るときに、生きてくると思うのです。


スクリャービンは本当にひどかったから、2ページ目の、右手で伴奏と旋律をやって、左は悪魔の分散和音のところを見てもらいました。先生は軽々指が届くけれど、このあたり正直言って私は指が届かないです。例えば親指と人差し指と小指で音を押さえるとき、指が届かないので、繊細な表現ができないのです。結果、親指の音を犠牲にしてしまう。そういう考えは良くないと言われまして。ははは。私も教師だったらそう言います。
回避策として、肩甲骨から腕まわりを柔らかくして、必ず押さえられる角度があるはずだから、それを探すようにと言うことを言われました。先生は自由自在に肩甲骨から先を使いこなしています。今までの私の先生が、真上からすとーんと指を落として音を出すという方法だったので、斜めからでも繊細な音を出す奏法を知らなかった私としては、本当に目からうろこなんですが、いきなりやれと言われてもできない。何度も言われている。もうさび付いた私にはできないのかも。


でも、のこり1週間ですが、ゆっくりから、ちゃんと綺麗に弾ける角度を見つけ出せるように練習してみます。今は弾くことに精一杯になってしまっているけれど、そうじゃない、ピアノの醍醐味は、きれいな音と出遭えた時に聞こえてくる音だから。ヴァイオリンの生徒なら「弾かないで聴きなさい」というけれど、同じことを先生はピアノでどうするかを教えてくれたわけです。


1時間半があっという間でした。
今日で先生とお別れですが、この先生は多分演奏家として大成すると思うので、先生をやめられても演奏会があればご連絡いただこうと思っております。


手首痛い~。スクリャービンでかなり無理してバンバン弾いたから、手首が痛いです。ホロヴィッツをイメージして弾いたらあかんのです。もっとお上品に。
こんなんで本当に本番弾けるんだろうか。頑張ってもダメだという事が分かっているのにあと1週間頑張れるか?


土曜日に東京の先生のレッスンです。ここが最後の関門。あと1週間は自分の力だけで仕上げないといけない。今仕上がっていないものを、来週仕上げられるのか。


もう、来週1週間会社をお休みしようかな。半日休を使うか。


今日怠けてしまったから、明日から、バリバリやろうと思います。
もう一日たりとも、一時間たりとも無駄にできない。あとは最後まで走り切るだけ。


今後朝寝ません。眠気覚ましの薬も買ってみました。効き目あるのかな?
仕事じゃないことでがけっぷちです。今までこんなにできていないことがなかったので、本当に緊張します。


まー、試験に落ちても死ぬわけじゃない。
でもあきらめるのは嫌。無駄にするのは嫌。今まで何とか乗り越えてきたじゃないか。
ため息は決してつかない。私が一番嫌いなのはため息です。リストの曲で「ため息」っていのがありますが、あれは、私みたいにできない自分に対してあきらめの意味で出てくるものではなく、愛のため息だそうです。