ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

「妊娠小説」

これもBlogで紹介してもらった本です。
私にとっては初めて読む評論本。あるテーマをもとに、いろんな作品を分類していってどういうタイプのものかと断じている。


「妊娠小説」とは、定義によれば「望まない妊娠をする」小説だそうです。中絶、死産、流産などが書かれています。
いやあ、日本文学って「妊娠小説」だらけですね。有名どころの芥川賞作家だってそういうの書いてますよね。
様々な分類をしているのですが、中でも途中でその分類をやめてしまう「メンズ妊娠小説」「レディース妊娠小説」の見方は面白いなと思いました。男性の側から見た妊娠小説は、男性は大体あたふたして捨てられる、レディース妊娠小説となると、女性がみんなさばさばさして男性から離れていっている。ああなるほどなーと思いますよ。


もっと面白い分け方もあって、なかなかと思いましたが、悪の2大要素、「医者」と「子供」という関係も重要です。私はずっと読み進めていく中で、「子供」の存在や人権について、この人は何も触れないんだな、日本の妊娠小説は触れていないんだなと思ったのですが、最後でちょっと触れてくれています。それは、堕胎した子供のイメージなのでここでは書かないでおきます。


妊娠小説の父は、森鴎外の「舞姫」、妊娠小説の母は藤村藤村の「新生」というのも、ものすごくよくわかりました。この辺りは妊娠小説の最初の流れを作り出していると思います。もっと前から「望まない妊娠」を扱った小説はあったのですが、その昔というのは堕胎は罪だったので、「産みたいかどうかを男女が悩む」というのはこの2つの作品が名作でしょう。


様々な作品が取り上げられていて、この著者(斎藤美奈子さん)はいったいどういう読書速度と脳みそをお持ちなんだろうかと思ってしまいました。特に分類のすばらしさ。文系って、客観的事実によってより、主観的事実(これは事実なのか?)によっていろいろ断言することが多いけれど、それって本当にそう断言していいの?っていうことも、この人の理屈にかかってしまえば、見事にきちっと分類できる。


この本はちょっと古い。2000年代以後の作品は取り上げられていない。現代はどうなんでしょう。私、最近の作家の本って読まないのでわからないのですが、もう「妊娠小説」の時代はひょっとしたら終わっているか、形を変えているかもしれませんね。70年代生まれの私が見てきて、男女関係の変化って、目まぐるしいように思います。私くらいの年齢の女性は自衛の手段を知っていたから、望まない妊娠は周りには少なくともいなかったし、まあ、あったのはセクハラで妊娠させられた(なのに、被害者の女性のほうが退職しなければいけなかったという不条理!)、とかいうことはありましたが。
アフターピルの処方なんかも、今の時代だからこそですね。気軽に皆さん病院に行く。


外国はどうなんだろう、って、外国文学ばっかり読んでいる私は思ってしまいました。キリスト教という縛りがあるから、望まない妊娠をしても産むのがあちらの文学です。特に私が読むのはフランス文学で、フランスは背徳的な行為が多い割には、妊娠してあたふたするものがたりってそんなにない気がします。カトリックが浸透していたからでしょうか。
暇なときに図書室ひっくり返して調べてみようと思います。


そして思ったのは、ここで分類されていない、誰も思いつかないような妊娠小説を、これから書いてくれる人が現れないだろうか、ということです。こと妊娠に対しては、男女ともどもほとんど同じような反応を示すような気がします。だれも予測できないすごい反応を示してすごい結末を迎えるような、とんでもない妊娠小説の出現を、心待ちにしようと思います。


今はフローベールを読んでいるので、これが終わったらユングですね。今月は体調が悪くてほとんど本を読めませんでした。微熱でも本を読む気力があるときがあるので、これからまたぼちぼち読んでいこうと思います。


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