ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

つつがなく。

昨晩は、斎場に泊まりでした。4件のお通夜があり、そのひとつだったのですが、なんとも斎場の夜というのは陽気にしていないと気がめいりそうですね。とくに私以外に泊まった人たちは皆さんご高齢で11時には就寝してしまい、一人残された私は、神秘主義のスクリャービンの本を2時過ぎまで読んでいました。なかなか進まなかったんですけどね。疲れる。この本は本当に疲れます。頭にも残らないし、めんどくさい本です。


亡くなったおばちゃんは、たくさんの茶道と華道の免状を持っていて、華道は免許皆伝、茶道に関しては今日庵の宗家家元から免状と茶名を授かっていたほどです。そうした資料が祭壇の横に並べられていました。昭和初期から近代に至るまでのそれらの免状は、大変資料的価値が高く、家元の筆跡のさまざまな書状は大変貴重なものだと思えたのですが。おばちゃんはそれらを全部棺に入れてくれとのことだそうで。


あわてて叔父と写真に収めて記録をとりました。最終的にはみんな棺に納めたのですが、大変もったいないことだと思っています。


つつがなく、葬儀は終りました。立派な骨でした。戦中に青春時代を送って、94年間生き抜いた力強い骨でした。


その後、初めて私は横浜の自分の実家に帰りました。え?と思うかもしれませんが、私は横浜育ちで、10年前に「建て替える前の実家」に帰って以来、「建て替えられた私の実家」には帰っていなかったのです(埼玉の家は亡くなった父の実家で、今はそこが私の実家としています)。新しい家です。建替えたのは妹で、私と妹は仲が悪いので、一度も立ち寄ったことがありませんでした。でも母はそこで暮らしているので、葬儀後、一同が母の家である横浜の実家に集合したのです。そのついでに私も初めて新しい実家に帰ることになりました。


何もかも懐かしい界隈。小学校6年生から住んでいた横浜。草ぼうぼうの植え込み、魚の泳ぐ川、昔なじみのご近所さんの家、おせっかいなお隣さん、私が車の車庫入れでこすってしまったフェンス、バス停までのさまざまな風景、年季の入ったラーメン屋さん、それらがぶわっと心に入ってきて、お葬式の悲しみよりも懐かしさで涙ぐんでしまいました。思えば学生時代は家を出て京都に住んでいたので、それからたまに帰宅していただけで、結構長い間じっくり帰ってはいなかったのです。


おばちゃんの出棺のときも鼻水だらだらでしたが、横浜の実家から帰る道も鼻水だらだらでした。今でも友達はこのあたりに住んでいるのだろうと思います。あるいはとっくに嫁いで出て行ってしまったり、東京に出て行ってしまった人もいるのだろうと思います。みんなおっさんおばさんになったんだろうなあ。私がこんな波乱に満ちた人生を送っているなんて誰も思いもしなかっただろうなあ…。


ちょっといろいろトラブルがありましたが、今後これ以上のトラブルが起こらないことを心から願います。つつがなく、日々を過ごせますように。これ以上何事もなく、不幸がありませんように。純粋に故人を思って送り出せなかった私の汚れた心が、少しでも浄化されますように。そうか、浄化か。浄夜か。シェーンベルクか!!ヴィオラ使いがうまいので好きです!!


Schoenberg: Verklärte Nacht, Op.4 - Boulez.
#合奏版に張りなおしました。ブーレーズです。



風邪引いていたのを忘れた2日間でしたが、明日ぶり返さないかちょっと心配です。明日は一日ゆっくり休みます。

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