ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

仕事出来なかったなあ…。

今日はちょっと長めに走って5000歩。それでも40分くらいでそのくらいだから全然足りてないですね。一日一万歩くらいは歩きたいです。やっぱり1時間くらい時間かけないと一万歩には達しないのかしら。30分は気にならないんだけれど、1時間歩くとなると結構退屈になってくると思うんですけどね。


朝は走ってきてからもう一度眠ろうと思ったのですが、スイッチが入ってしまっているので眠れなかったです。意地でも眠ろうと思って午前中がつぶれました。午後は読書していてつぶれてしまいました。ただでさえ仕事が遅れているのに土日に仕事やらなくてどうするんだ。これからでもできるから、頑張ろうと思います。


スキタイの本を読んでいたら、匈奴のことが出てきて、秦のことが出てきて、キングダムというアニメを思いだしました。今第三期が放送中ですが、制作中断で続きが流れていません。とても好きな時代で、始皇帝は本当にすごい人だと思っているので、キングダムの続きが気になっております。漫画買えばいいのですが、買ったらきりがないので、アニメを待ちます。


しかし、秦の始皇帝の場合は兵馬俑は人形が埋められていたけれど、スキタイの時代、紀元前7~5世紀は、実際に殉死者が何十人と埋められていたんだそうで、殉死って、いつから始まったんでしょうね、っていうかどういう発想で始まったんでしょう。エジプト、メソポタミアや、日本、中国では古くは主君の死に殉じた人たちがお墓に一緒に埋められてましたが、ローマギリシャとかはどうだったんでしょうね、ゲルマンやケルト、アメリカネイティブではどうだったんでしょうね。殉死の発生と歴史だけでも調べたら面白そうです。どういう発想なのか(あの世でもお仕えできるように、ということだったら、あの世の世界というのをもうすでに紀元前7世紀のスキタイは持っていたということになる)、なぜそんなことをするのか、知りたくなりました。
何を調べればわかるのかな…古代史はこれだから面白いんですけど、そういう目で見たことがなかったので、これからはそういう目で見て世界的に殉死がどういうものだったのかを突き詰めていきたいと思います。


またいろいろ興味がわいてきてしまいました。早く本を読んでしまいたいです。
さて今週は頑張るぞ!!

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