ひまわり畑を夢見るブログ

44歳の時、乳がんの診断。ステージ2。手術して抗がん剤とホルモン治療。仕事と治療の両立の生活記録を残します。

母の肺腫瘍の手術の日+内地へよろしく

母が肺に8ミリほどの腫瘍があり、それを摘出する手術をするというので仕事を休んで出かけてまいりました。


大げさかな、胸の切開をしない腹腔鏡手術なので、まあ、たいしたことないかなと思っていましたが、我々3姉妹勢ぞろいで手術室まで大名行列のように送ってきました。手術はちょっと長引き、姉が娘のお迎えで帰宅してしまい、最終的には私と妹が待つことになりました。手術が終ってICUに面会に行くと膨れた母が。

医師の説明では、細胞を採取し病理検査をしたところ、悪性の腫瘍だったので、なんといいますか、肺の袋ひとつ取り出したのだそうです。母は意識があり、ちょっとくるしそうでした。なんだか涙が出てきました。泣きそうでした。母が無事だったということでしょうが理由は分かりません。私も2ヵ月後には同じ姿になっているんだと思う辛さもあったと思います。私の場合は、きっと、悪いところをとってもらっただけではなく、大事なものを失った悲しみで、きっとICUで目覚めても平然としてはいられないと思うのです。それを思うともっと辛かった。


取り出した肺葉を見せてもらいました。あんなぷよぷよしたものが入ってるんですね。


手術中、前後、病院の雰囲気がとても苦手です。前に書いたとおり父を亡くしているのでそのときの感情がよみがえってくるのです。手術室やICUはもう特にびりびりと魂を締め付けてきます。父ばかりでなく母まで命を奪うんじゃなかろうか、そんなことすら思ってしまいました。まあいずれはお世話になるんでしょうけれど。


その前に私がお世話になるんですけどね。まだ母や姉には乳がんのことは話していません。とりあえず姉の仕事の休みだけ聞いておいて術式説明には来てもらおうと思っております。


十蘭先生の「内地へよろしく」の最後のほうを読んでいました。帰りの電車で、あと終わり数ページになって、もう涙ぼろぼろでした。途中、まるで戦争を肯定するような、曲解すれば戦争賛美派的な表現が多く、ちょっと十蘭大先生に対する反感もわいたのですが、最後まで読んで、それはちがうんだと分かりました。もう最後はお得意の儚さのオンパレード、そしてでてきた「私」に、誰???何、この電車の中で涙だらだらで鼻水すすりまくって読んでる私に最後の最後で謎賭けですか???あたふたして最初から読み直してしまいました。しかし、これも、十蘭お得意のレトリックなのでしょう。

ともかくも、個性の際立った、キャラの立つ話でした。明日戦場に戻ろうという若者が内地の見納めに東京見物に来ているのに、東京の片田舎で故障しているトラックを直して怪我した運転手の代わりにジャガイモを築地に届けてあげるくだり、本当に死を背にしている様子が迫ってきて、お得意の儚さにあふれていて、なんとも悲しい寂しい、そして彼らの心の平和を願わずにいられない気持ちにさせられました。結婚式騒動もなんとも日本らしい、一方で戦争をやっているのにまるでやくざの見栄の張り合いみたいなお祭り騒ぎで、背後に戦争があるが故のことなのだと思うと本当にこの時代を経験した人たちの人間観というか死生観がひしひしと伝わってきました。今まで十蘭先生の名著といったら「紀ノ川一族」をあげていましたが、いまや反戦的小説「だいこん」と並んで私のNo.1になりつつあります。


良く涙した一日でした。

折りしも父が大手術をしたのが8年前の今日。

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